2011年10月25日(八段語録1480)

積極的人生観(53)
 成田へ

 起床四時、葬儀が滞りなく終了して、すぐさま予定していたロシア大会へ出発することにしました。妻は、葬儀が終わったばかりで、不安なようすです。会長と数納師範と私でのロシア指導は、予定していたことでしたので、途中でキャンセルすることにはできないのです。もちろん、会長も今回は辞退するように促してくれました。それでも、親父ならばどうしただろうと考えると、行くべきであるという結論になってしまうのです。親父はどのような環境でも仕事を休んだことのないのです。私が幼児の時には自転車で仕事に出かけ、学童の時には、バイクに乗り、中学に入ることには車での出勤でした。
 まず優先すべきは、仕事であるという事を、幼いころから嫌というほど叩き込まれたのです。朝出勤しない親父を見たことは無いのです。間違いなく親父が乗り移っている私としては、家に落ち着いて弔問客の接待をするような歩みはできないのです。この四十数年、空手道の何たるかの悟りの人生を歩んできている私としては、武道の道の普及に努めるのが本分であろうと、心を引き締めているのです。
 あわただしい中、妻にはスーツケースの中身を整えてくれることを指示しました。私は、身の回りで、どうしても必要となる用品を取り揃えるのです。社会福祉協議会で頼まれていた会報の原稿を桜井広報部長に送って、最低限の用事を済ませて、新幹線に飛び乗ったのでした。
 ところで、今回ロシアに出発するもう一つの意味も私なりにあるのです。それはふたつです。親父と二人きりになって、生まれてから今までの人生を振り返りたいという欲求と、親父の魂を個人から世界に連結したいという事なのです。ことさら、息子が親元を離れて活動してきた一端を、一緒にロシアにいくという口実で、その道中で、対話をしたいのです。もちろん、我が家にいても、できない事は無いのです。それでも、親父の御霊と一緒に、東京を通過し成田空港へ行き、ロシアに向かう道中という対話の環境を確保したという事なのです。
 今日は、出発に際して、成田空港のホテルで、会長と夕食の場を持つことができました。何故か親父と居るような錯覚を覚えるのです。他愛もない話をするのですが、会長にいつもよりも素直になっているのです。10階のレストランから夕闇に夜景が広がっているのですが、ビールを飲む仕草が親父に似て見えてしまいます。心を慰めてくれる会長の言葉なのですが、親父が優しく囁いているように聞こえるのです。レストランには、閉店近くなっているので、私たち以外に誰もいないのです。親父と私だけいるように思えてしまいます。会長の足を引きずる姿が親父とダブります。部屋に帰って、誰も居なくなると、ことさら、小さいころからの親父と一緒の場面が広がります。
 会長と数納氏師範が、私の部屋に入ってくれました。午前零時なのですが、話を進めてくれます。これまた他愛もない話なのですが、寝られない私に付き添ってくれたのです。その後、パソコンにソフトをインストールしながら、うとうとして朝を迎えた一日でした。