2011年10月24日(八段語録1479)

積極的人生観(52)
 告別式

 通夜は、会館で一人親父と今までの人生の対話なのです。というのも、我が家も会館そば近くなので、家族は帰って告別式の支度をするということなのです。三階建ての全館は、全国から送られてきた33本の生花と、正面を飾る花園だけが長い夜を見つめてくれているのです。対話は弾むのです。おりしも、通夜の時の私の喪主の挨拶は、親父の人生を語ったのです。今となっては、私が親父の人生を代弁する以外にないからなのです。朝まで語り続けました。親子の久しぶりの膝を交えた「話し合い」でした。
 朝7時には、母親がこの時に着るかもしれないと予想していた着物の着付けをしてもらっていました。着付けする人も、いつもの知り合いなのです。心置きなく、母も父の事を話していました。早朝8時には、和尚が来て、別れの法要を整えて、皆で献花をしたのでした。気丈にもお袋は、涙を見せまいと振る舞うのです。それが痛々しく感じるのです。出棺の時を迎え、口癖のように、金色の龍を模った棺を運ぶという事を親父と話していたごとく、霊柩車に、母は写真を持って乗り込んだのです。
 親父と母の約束で、実現したことになるのですが、余りにも息子としては、心が痛いのです。今にも泣きだしそうな空模様が、いっそう母の気持ちを悲しく濡らしていました。三十分もすると、葛ヶ岡の火葬場に到着しました。父は厳かなに、炉に入ったのです。一時間半もすると、もう既に骨となった親父と対面になりました。骨壺に骨を拾って、地上での生活の一切の終焉迎えたことになりました。再び土に帰って、魂はあの世への旅立ちを迎えたことになるのです。
 すぐさま帰路について、一時からの告別式に備えるのです。もう既に骨壺に入ってお骨になった親父でしたが、それ以降感じるのは、私と共にいるような感触なのです。肉体は無くなってしまったので、長男の私の肉体を借りるしか魂の成長はないようです。それで、気分は、親父が乗り移っているような感じなのです。多くの人が集まった葬儀には間違いないのですが、父親はすでに、私に住んでいるようなのです。そして、和尚の話を聞いているのです。つまり、これからどのような修業をしてあの世に行くかという事を、私と一緒に聞いているのです。難しい経典を読んでいるようですが、結局どのように修業を重ねて三途の川を渡るのかという訓練方法を教えてもらっているのです。
 告別式で、多くの人との別れが在りました。それだけではなく、これから新しく親父も成長せざるを得ないのです。それは、私の肉体を通じてという事になるのです。親父にとってみれば、別れも重要なのですが、魂の完成の方がより意識を集中しているという事なのだと思うのです。和尚の経典読経の後、ご焼香と孫の順香の別れの言葉がありました。夫婦で山菜取りに山によく出かけたという話や、出かけて帰ってくるお婆ちゃんをいつも待ちながら、孫とまだ来ないと話をしたこと、嫁の千順さんから介護を受けていても、悪い顔一つせずに「ありがとう」といつも感謝してくれたことを披露してくれました。
 最後に、喪主の私からの挨拶です。魂のこもった話になりました。息を引き取った後、別荘で、「おくりびと」によって棺に入って、あの世への旅路の準備をしたこと、親戚の方々が多く訪ねてきてくださり、親父の昔話をしてくれたこと、葛が岡の火葬場で肉体生活の全てを終えたこと、最後に私達兄弟家族の為に愛情尽くしてくれたことに感謝して、親父の指導を守って精一杯頑張っていく事を述べさせていただきました。
 その後、繰り上げ法要です。五十名程の人達と別れを惜しんでの会食です。私は一人ひとり回って話を聞きました。親父の事を聞き逃すまいとする気持ちです。一通り回るころには、親父だけで心が、満たされていました。その後、道安寺の墓に納骨させてもらったのでした。忘れることのできない、葬儀が終了したのでした。