2011年10月22日(八段語録1477)

積極的人生観(50)
 あの世への旅立ち

 昨日は夜遅くまで、親戚が通い詰めていましたので、睡眠を取るのは午前二時を回っていました。親父の傍に、母と三男の茂雄と私が横たわって休んでいたのです。親父の傍は、温かい空間が広がっているようです。大黒柱として一生懸命支えてきた足跡が温もりとして感じることができるのです。朝に私達の涙と父の涙が流れているような雨が降っているのです。涙の別れと旅立ちが待っているかのようでした。九時過ぎには、道安寺に到着です。和尚さんに親父の性格と略歴を記入したレポートを提出しました。経典の中で仏様にとりなしをしてくれるようです。車の中でも親父の事が去来するのです。
その後、父のもとには、「送り人」が来ていました。三途の川を渡るために、草鞋を履き、六文銭を足と草鞋の間に隠し、顔を洗って化粧をするのです。「天国への旅路」の為に、衣装を着替えていくのです。短い時間の間でしたが、あの世に父を送っているという実感をさせられるのです。父親の人生を振り返って、森家の為に縁の下の力持ちになって、地味にたゆまぬ努力を積み上げて来た姿は、「天国への旅路」に値するのです。今日は朝から、金上家、森家、金森家の親戚がひっきりなしに訪れてくださるのです。喪主としての準備と行動を務める私は、祈りと愛情を注がなければ消化できない内容ばかりなのです。
ところで、親戚の方々が親父の事を話してくれます。色々なエピソードを取り混ぜながら聞かせて頂きました。喪主として受け止める親戚から見た親父の姿は、愛情と善意を人に与え続けた人であるということでした。例えば、どんなに疲れて仕事から帰ってきても、家に来客があるときなども、嫌な顔一つせずに暖かく対応したというのです。また隣近所の揉め事なども決して争うことなく丁寧に対応したのです。裸一貫から築き上げた財産は、温厚な性格から、太平住宅に努めたこともあって、住宅の件数も多くなっていきました。決して積極的に渉外をする人ではないのですが、いつの間にか多くの人と上手くやっていっているのです。決して波風を立てようとしないのです。それは、親父自身が黙々と人生を歩む姿勢に似ていたのです。自分の家族を大切にすることの反映でした。
 このように、親父の姿勢は、結果的に多くの人の信頼と財産を得たのです。多くを得たのですが、ただ漠然としてあれが欲しいこれが欲しいという漠然とした思いではなく、それを継続して推進役を買って出たのは、紛れもない、内助の功としての母親でした。