2011年10月19日(八段語録1474)

積極的人生観(47)
 妻との会話

 秋晴れが続いて気持ちが良いのです。娘二人も朝の修業に同行してくれています。昨日、かつて、志を共にした人たちと懇談のひと時を持ちました。東北恒例の芋煮会です。集まれるのが夜でしたので、ホールを借りてという事になりました。それでも十数名の人達が集まってきました。東北に帰って来たのは、20年前ですので、旧友からすると放蕩息子が仙台に帰って来たという印象なのです。友達は良いもので、まるっきり警戒心なしです。私の番になってのスピーチは、帰ってきてから大学への学び、地元で税理士ではなく極真会館の師範としての出発をしたこと、宮城県本部だけではなく全国と世界を股にかけて歩み始めている現状を、掻い摘んで話したのです。集まった人たちの注目の的となったのでした。それだけ、会社勤めをしている人達にとっては刺激的な事なのです。
 今日の午前中は、妻との会話の時間を持ったのです。二時間ほどの時間があっという間に過ぎてしまいました。下宿人の事から娘の事、介護を要する親父の事、母の事と多岐多様と、話題は所狭しに広がります。話していくうちに妻の役割の重要性を認識しました。手伝える部分も見えてくるのです。当然私に対する要求と指摘も鋭いものがあります。それだけでなく、愛情も深く確認することができました。連れ添っているうちに忘れかけている思いやりの心を再び奮い立たせて、今日の稽古に出発させていただくのです。家を出る時には、「このような私に今まで付き添ってくれてありがとう」という気持ちが湧いてきます。一度走ったら止まらなく、超特急で突き抜けてしまうほど勢いが増してしまう性格も、妻の支えなくして何も始まらなかったのです。波乱万丈の中にあっても、歩み切ってこられたのは、全ては、この人の支えでしかなかったという結論なのです。
 ところで、今日の長町教室も元気はつらつ通っている子供達の熱気で溢れていました。組手のレベルは上がっているのです。子供達の動きも様になってきています。もう既に三年ぐらいの歳月が流れているのですが、誰ひとり弱音を吐くような子供達はいないのです。久しぶりに連続組手に挑戦しました。誰も勇ましく戦うのです。腹に蹴りをもらっても、めそめそすることもなく、立ち上がって戦う姿に、将来の日本を託せる道場生の誕生かと気もはやるのです。妻との対話がスムーズな事もあって、道場生のお母さん達ともスムーズな会話の流れです。子供の成長は早いものです。そのスピートについていく事が出来る対応が家庭には望まれます。その伝言をして、教室は終わりました。
 次の壮年の稽古は、インナーマッスルトレーニングを重点に置きました。四肢五体の筋力強化よりも、内臓の体幹部の筋肉を調整するような運動をしたのです。腹筋を中心としたトレーニングだけに、忍耐がいる運動のようです。私の場合、断食十日間をかろうじてやり遂げ、その後のトレーニングが筋力よりも内臓を鍛えるという事を意識して二ケ月余りの期間を過ごしたのです。どうにか、体重も10㎏減の状態が維持され、身体も軽く感じるのです。その後、継続させて、しっかりとして健康管理をしていければ思うのです。トレーニングを受けた壮年の人達は、ちょっと腹筋だけに、苦しかったようでした。
 あっという間に一日が過ぎるという焦燥感もあります。それでも、共感すべきことは分かち合うのですが、原則から外れた共感はしないように努力しなければと思いました。思い入れが多いばかりに、共に人生を台無しにしても仕方がありません。人情的になる自分にも反省です。人生勝負です。また人間関係は鏡のようなものです。自分がどれだけ多くの人に希望を与えているかを再度検討すべきであると反省です。判断しかねている人が、最後の決定として「いまそれどころじゃない」と言って、自分を傷つくことを避けた行動を取った時に、反論しない自分があったのです。自分の考えと絶対に相容れないのです。それでも同調したふりをした自分を今恥じるのです。他人の幸福を願う気持ちを続けることが、自分の人生の原点であることを忘れてしまった自分に減点でした。