2011年10月18日(八段語録1473)
積極的人生観(46) 心静かに落ち着かせる
朝日が、輝いて目に刺してきます。修業に忙しいのですが、十分ぐらい立ち止まって、腰を下ろし、心を静かに落ち着かせています。これは、実にこの作業は、勇気がいります。時間もない中に、静かに心を落ち着かせるという事の意味を自分に言い聞かせないと出来ないものです。実際問題として、修行に忙しいのです。チラシ配布ですから、次の一件が大事だという意識です。たった、十分でも心落ち着かせるという事は、できないものです。もう少し広げると、夜空の星を眺めるという余裕もなくなっているのかもしれないのです。この意識は、自分にとって貴重な事のように思っております。心落ち着かせようとする努力は、過去に向けられた行為よりも、未来をどうするかという徳業でもあると感じています。この私の心落ち着かせるという行為は、自分に語りかけようとする訓練なのです。
最近、娘に対する言葉使いで妻に怒られました。言葉が人を傷つけてしまうのだという事です。繊細な娘に、正しい精神で言葉を投げかけてやらなければならないと、さらに自覚をさせられたのです。少なくても、言葉の使い方をもう少し考えなければならないと意識しているのです。言葉を選んで使わないと、人と人の関係が百八十度変わってしまうのです。今の娘を見ていると、言葉で負わせた傷は、刃物で切りつけた傷よりひどいように思うのです。これも十分静かに心落ち着かせることによる反省であると感じています。反対に良く考えると、言葉は幸福をもたらす鍵のような事になるのではないかと思うのです。それにしても、言葉の軽率さを指摘された私は、反論の余地もなく、反省です。口から多くの災いが出てしまうという事を反省しての今日の出発という事になります。
最初に出かけるのは、母親の常時通う健康食品の店です。店に出向くとその日の持ち帰り品があるのです。それを目当てに行くのですが、母親は、ボケ防止として毎日通っているのです。一か所だけではなく、三か所を回って夕方帰宅というスケジュールを十数年続けています。年金の全ては、ここに投入しています。さらに、預金も取り崩しているのですが、一向に気にしないのです。若い時に中途半端でない貯め方をしたのです。その全てを使ってしまう勢いです。それも健康のためという口実でいくのです。一般の常識では、騙されているという言い方が正しいのですが、母親はお構いないのです。それが今では生きがいという事なのです。母親に静かに心落ち着かせるようには到底いう事はできないようです。
家に戻って、会長と会話です。このグループの本質の話をするのが、自分にとって生きがいになります。他のグループとは、まったく違った教育者の集まりなのです。会長とはアイホーンの環境設定とテレビ電話について話をしました。これからますます心近くなって、あらゆる刺激に対応していきたいと思うのでした。このテレビ電話の件も、自分がこれから始めようとすることが正しい事なのかという事の確認の為に必要であると思うのです。会長との会話は、私の力の源泉であり、大航海をしようとするための羅針盤になるのです。クオリティとクオンティティをどのように発展させるかをいろいろ心静かに考えようとしているのです。
会長との電話が終わると、パソコンに電源がつながらず、システムダウンしそうなことに気が付いたのです。あわてて、ヨドバシカメラに直行です。電源接続の保証の件はどうなっているのかという事を、問い正しながら、アップルストアに行く羽目になっています。パソコンは、私の想像力をかきたてるツールです。無事修理が終わることを祈りながら、待ち時間をつぶしているのでした。この待ち時間も心静かに落ち着かせる時間という事になったのでした。