2011年10月17日(八段語録1472)

積極的人生観(45)
 他人への願望

 毎朝の修業は続くのですが、ちょっと立ち止まることがあるのです。議員と二人三脚で歩んできているのですが、気持ちが良く合うのです。その理由は、実は能力は無いにしても、実に自分に望んでいることを議員にお願いしていることになるという事なのです。私は政治家としては勝負しているわけではないのですが、政治的な祭りごとは好きなのかもしれないのです。そのような意味で他人に対する願望の真の意味が、自分がやってみたいという事にあるのかもしれないのです。
 ところで、マイナス面での表現のことわざとして、「人を呪わば二つ穴」という言葉もあるのですが、逆に他人の能力を発揮してくれることを望むならば、それが自分に跳ね返っていい状態になるのだという実感を持つのです。これは、潜在的には、プラスに働いているのです。議員と連れ立ちつつ、議員に議席を維持してもらう為の、奉仕活動をすることによって、単純な足し算なのですが、自分も一層豊かになっているように思うのです。あくまでも、他人の繁栄をはかってこそ自己の繁栄があるのだという事を思うのです。
 それだから、自分の望む政治的な内容は、議員に望んでいるのです。自分が望まないことは、議員には当然望まないのです。二年ほど続いたこのような関係ですが、決して票の取りまとめを依頼されたわけでもないのです。常に、議員として働きやすい環境を築いていこうとするのが私の動機であり、活動分野における活躍が最大の望みなのです。そうしないと、私の心は落ち着くことはないような気がするのです。当然それは、毎日の修業の足掛かりであって、それが道場生、友人、親戚と驚くべき経験を自分に引き寄せながら、心身の鍛錬をしているという事なのです。自分の身を捨てないと他人に影響を与えることが出来ないという事なのかもしれないと考えるようになっています。
 もし万が一、私が議員になるとするならば、極真会館の絶対的な数的基盤が出来てからなるべきであると肝に銘じます。全国に5万人の指導者を育成して、50万人の会員が出来て初めて、議員の道はありうると考えるのです。このぐらいの規模を運営できずして、国家を運営できるはずがないというのです。借り物の組織で踊らされるのはまっぴらごめんという姿勢なのです。当然地方議員を目指すのであれば、身内からの票で当選できなければ話にならないのです。票は身内の票が理想なのです。そんな気持ちでいるという事は、未だ私は生きが良いという事なのだと思うのです。最終的には、国に責任を持たない人生などあり得ないと思っています。どのような切り口が国を救う事が出来るのかという事です。誰も宗教、政治、経済、教育、科学技術、文化等、全てに責任を持つ人生などあり得ないのです。どれか自分の得意分野に特化して事を進めていかなければ、人生はあっという間に過ぎてしまいます。私の場合、武道であり教育なのです。 
 最終的に、極真会館手塚グループとして、数的基盤は上述した通りですが、質的基盤というならば、日本人が歴史をかけて培ってきた武道精神を分けてあげることであると思っております。この精神は、繁栄をもたらす法則であると確信しております。つまり、武道精神こそが、今後日本を立て直す最大最高のゴールデン精神であると確信して伝える側に立つのです。もちろん実践もするのです。この精神を身に付けた道場生は、生涯社会を支えながら幸福に暮らす生き方を身に付けたという事になるのです。私は、それを実践して広めていこうとするのです。
 今日も終わろうとしております。反省することは数多くあるのですが、真実な友を得るために奔走した一日であったという気持ちです。今日の行動が、皆に愛されたのかという事が心を突きます。果たして今日の歩みが正しく評価され、誰からも頼りにされていると想像しようとしているのです。そう感じないと次に進まないのです。そのような気持を維持しないと、とんでもない人がグループをかき乱すかもしれないとう、脅迫概念にかられます。本当にグループを支えたい人達が集まることを立ち止まって祈るばかりです。