2011年10月11日(八段語録1466)

積極的人生観(39)
 山籠もり

 秋晴れの一日です。清々しい朝日を浴びながら一日のスタートを切るのです。娘の順香を見ると眠そうです。私も若かりし頃は、朝起きるのが辛かったのでした。河北新報という新聞を120件ほど配っていたのですが、毎日が眠気との戦いだったのです。それでも、家の家計を支えようと親孝行に心掛けていたのでした。私の娘はといならば、小遣い稼ぎという気持ちのようです。時代は確かに変わって裕福になっているのだと現状を受け入れているのです。私のように過ごせとは口裂けても言えないようです。
 ところで、私のブログを読んでいる人に言われるのですが、そんなによそよそしく書かなくてもいいのではないかというのです。普段着のままで書く方が良いとの助言を受けるのです。それでも、私は変えないのです。何故ならば、私の思想と感情を表すこのブログが、私自身だけでなく、読む人にも何らかの癒しの力になれば良いと思っているのです。このブログは私自身の為に書いているばかりでなく、道場生のためにも書いているのです。というのも、真意を理解してもらう事が大事だと思っているからなのです。それゆえに、良い言葉を使う習慣を身に付けていた方が良いという判断からなのです。
 さて、今日も会長から電話がありました。私の耳はまず感謝しているのです。忙しい時間を縫って電話をかけてくれているからなのです。そのうちに四肢五体全体が感謝しているのが分かるのです。そのうちに、会長との会話の中から、感じられる雰囲気の中で、妻に感謝し、家族に感謝し、菅野師範に感謝し、スタッフに感謝しているのです。感謝する心は、自然との一体感を感じる契機になります。農作業が板についているからなのです。鍬を持ちながら、全てに感謝することが出来る状態になるのです。そして、感謝の心を失わない限り、私の人生の豊かさは失う事はないと思うのです。感謝は幸せのパートナーという事なのだと思うのです。
 最後になりましたが、私のパートナーの一人から忠告を受けることが多いのです。私はどのように捉えるかというならば、彼の中に天の声、天の意思があると思っているのです。そうすると、その声は、例えどんな内容のものであっても、受け入れることが出来るし、とても有益に聞こえるのです。私は、農作業をしながら、言われた言葉を反復して繰り返して言い聞かせるのです。相手からの忠告は、嫉妬や憎悪、悪意となんら関係のない所から発せられているのです。それでもって自分は、改めて謙虚になるのです。 
 一日を締めくくるように、パソコンに向かいながら、一日の反省をするのです。やはり全国の責任者の顔が浮かんできます。手塚グループの発展のために、何をどのようにしなければならないかを心に去来させるのです。自分の一つの判断が、大きく極真会館の歴史を動かしていっているのだという自覚と共に一日を終えようとしているのです。