2011年10月10日(八段語録1465)

積極的人生観(38)
 稲刈り

朝日が上がらないひと時の闇夜は、暗いのですが、これからの希望を感じるのです。当然、次第に明るくなり、闇夜を遮るように朝日が昇ります。身支度をしながら、今日の無事を祈り愛車に乗って出発です。この歩みを10年以上続けているのです。身体が動かなくなるまで、戦い抜く覚悟はできているのです。今年は、娘の順香が手伝ってくれているので、気持ちが少し愛情に満たされます。博先生と活動してからも一年半近く続いているのですが、気持ちが乗っているときは、元気ですが、そうでないときは、辛そうです。議員は、先頭立って苦労しなければならないのです。本人は指導権を持って行政を指揮していかなければならないと口癖に話します。それには、日々の活動が基本ですので、私との修業は、覚悟はいりますが、充実しているようです。
 さて、私の切り口は、極真会館という世界的基盤をベースにした武道教育です。この範疇を超えてまで、個人から世界に至る道はあるのかと考えるのです。当然、世界に影響を与えるというならば、宗教の世界であり、政治の世界であり、経済であったりするのです。ベースはあくまでも武道教育という空手道の世界ですが、もっとこの能力を生かした歩みもできるのではないかと考えることもあります。しかし、それは想像力の世界であって現実のものではないような気がします。
 ところで、明日から雨になるということで、稲刈りを今日中にという親戚からのアドバイスがありました。八時過ぎに根白石に出かけて、田圃の稲刈りを始めることになりました。今のところ、日差しが差していて暖かいのです。しかしこの天候も夕方までしか続かないという事のようです。農作業をするようになる自分をみて、人間は、年齢を取れば、自然に帰っていくという事なのかと感じるのです。
 農作業も、空手道も、地上で充実していくためのテクニックなのでしょう。よりよく生きる為に活動しているのです。そして冒険もするのです。人生という試験に合格するために、頑張っているのです。もちろん、他人との比較はしません。比較するならば、不安と緊張と油断を引き起こすからです。そのような意味では、自分の内部にある力だけを注ぎ込むようにしているのです。いろいろな人からあらゆる勉強をしました。今回の選挙でもだいぶ学習させていただきました。その結果、競争の起きる唯一の場所は、自分の心でしかないという私の結論です。やれるのだろうか、やれないかもしれないという自分の考えが競争するだけの話です。
 ただ、自分が生まれてきたのは、不幸に陥るために生まれてきたわけではないという気がします。そうすれば、前進以外にはないようにも思うのです。私は意外と単純な性格であると思っております。この数年でこのグループを軌道に乗せるという思いは、揺るがないのです。さらに、絶対にできるという気持ちになるのです。つまり暗示にかかりやすい性格なのです。自分に暗示をかけてやり通すという自信を持っているのかもしれないのです。