2011年10月4日(八段語録1459)

積極的人生観(32)
 身近な子供達

 今日も朝から修業です。その原点は、自信に満ちているからのような気がします。自分の能力や技量がグループの達成に必要であると確信していることや、期間を限定して見通しを立てているからなのだと思います。見通しには、かなりのハードルがありますが、毎日の生活の中で、逞しい想像力を描いているのです。この訳の分からない想像をしてしまうのが、私の歩みということです。そのような意味では、今までの人生を振り返って、やましいことはないのです。そうでなければ、大手を振って目標には向かえないのです。それが信念にまで、膨れ上がってきます。
 高知の新規支部長の件や、アメリカのオレゴン州の伊藤さんの件(ホームページからのアクセス)、様々良き情報が流れてきます。必要な人材が集まってくるのだと思います。実に有益です。もう既に勝つ戦いに入っているのです。このグループを創造していくのも逞しい想像力であるのです。この気持ちが、毎日の人生というスクーリンに映し出されるわけです。この中で主役を演じていかなければならないと思っております。主演を張るわけですので、しっかりとした思想と感情を持って、大きな志を掲げていこうと思うのです。
 さて、スクーリンの中の一部なのですが、娘の文誉を大学に送っていきました。後期に入って二回目の授業になります。青春なので色々なことがあります。彼女もしっかり歩んでいるのです。色々な青春の門を通りながら、喜び、そして傷ついて歩んでいるのでしょう。自分の器を越えた事による限界現象が現れたのだろうと思うのです。それでも、一緒に大学へ向かうのです。後二ケ月もしないうちに二十歳を迎えます。しっかり見守っていこうと、心に思いながら運転していました。
 さらに、次のスクーリンを覗くと、朝チラシ配布をして行動を共にしている姉の順香がいます。順調に単位を取り、来年の四年生はほとんど大学へは通わなくともよいそうです。本人は、朝親父と活動を共にすることで、精神的安定と、一日の生活基準をしっかり立てているようです。頼もしくなったと思うのです。それから、私からのバイト料も当てにしているのです。順香の成長は、驚くべきものがあります。宮城野高校時代は、学校をさぼったり、人間関係を苦にしていたり、更に、過食症を引き起こしたり心配な日々がありました。それが今では、しっかりしているものです。婚活と就活を一緒にするような勢いです。
 それにしても、愛情を持って見つめていくだけで、子供達は育っていくのだという事なのでしょう。心配して気を揉むのは親ばかりです。それが親業ということなのだと感じているのです。どのように思ったらいいのかはわかりませんが、子育てに成功という事はないような気がします。子供たちが心に何を望んでいるのかを見つけ出して挙げることが親の役割のような気がします。それがはっきりしない内は、子供に何を期待してもダメなような気がします。
 長男の息子夫婦はというならば、今は何も干渉しないようにしています。自立しているのだという事なのでしょう。そっとしているのです。決して、息子夫婦に、拘束や限界を感じさせないように敢えてしているのかもしれないのです。もちろん注意を振り向けていることは確かなのですが、私の心の中で拡大させているだけで、表現することは差支えているのだという事だと思っています。愛情なのかおっかなびっくり、なのか分からないのです。それでも、今日一日は終わります。そして大きな志を抱いての歩みであったと振り返るのです。