2011年9月30日(八段語録1455)

積極的人生観(28)
 生き方の本質

 朝の修業を娘の順香と終えて、東警察署に行ってきました。要件は、少年補導員の委嘱という事なのです。書類に内容を記入して、写真を取って、来週に委嘱されるという事でした。東警察署長からの委嘱という事で、極めて名誉なことです。次に、選挙事務所であった大家さんに行きました。幼稚園の園長先生もされているので、人格的にも人間的にも立派な方なのです。選挙の話と極真会館の運営の話になりました。来年の3月までには取り潰す建物なので、それまでしっかり使って欲しいという事でした。取り壊して平地にするという事なので、土地を貸していただき、プレハブを建て、道場を運営させていただけるように配慮していただいたのでした。
 朝四時起床からの活動なので十二時を回るころには、ふらふらになります。それでも、やらなければならない、秋野菜の手入れがありますので、畑に直行です。さらに、今年の稲の作柄を見に行くのです。黄金色の稲が、重く垂れているのです。台風の影響で稲が倒れるかという心配はありましたが、無事に育っているのです。それを横目に見ながら、草刈り機と、鍬を担ぎながら手入れが始まりました。ここに来ると生き返るようです。世の中の雑事から解放されるのです。
 ところで、人生、幸運を待っていれば向こうからやってくるというもので無いらしいのです。今日も、このグループの為に何ができるかという事を意識しているのです。だからと言って誰にも要求するものではないのです。さて最初に来週には、高知の高橋君を会長に紹介して、その人物を見てもらって、四国の発展につながるかどうかを見極めてもらうのです。高知と言えば、新極真の三好が有名ですが、それを越えてもらう必要があるのです。二年前に、青少年交流振興協会主催のゴルフコンペで一緒にゴルフを楽しんだことがありました。その印象は、ゴルフ三昧で、道場生の育成に関して、積極的であると思えませんでした。
 このグループに責任を持って歩もうとすることは、自ら望み、準備し、行動しようとしているのです。誰から言われたからという訳ではないのです。この立場は、私の心が望んだ結果なのです。自分に才能があるかどうか分かりませんが、あくまでも私の心的態度が決定したことなのです。偉くなりたいから実践している訳でもないのです。自分としての好ましい心的態度な訳です。ここで自分に問う事は、十分に自分の能力を発揮させる以外にないのです。誰か助けてくれるとは思いません。自分で引き出すだけの話です。自分自身を信じる以外はないのです。
 このグループが自分の可能性をかけた実験場ということになります。自分の可能性に掛けようとする思いなのです。もちろん誰に言われなくとも、能力の限界に挑戦しようとするのです。より高い所への挑戦によってしか切り開かれないと思っております。可能だと思ったから始めたことだけなのです。誰かが思っている能力の限界など、的中などしないと思っております。自分の能力は氷山の一角であると思うのです。この期間、神と仏は必ず限界を越せさせてくれると思っているのです。