2011年9月29日(八段語録1454)

積極的人生観(27)
 社会に対する思い

 教育者としての在り方を考えさせられました。決して意見を受け入れず、結論を初めから用意して、ただ話を聞き、あしらう姿勢を見てしまいました。例え一学校の責任者としての公務員はそれほど強く、民間は、頭を下げなければならないのかという疑念が湧いてくるのです。排除した団体からの反論は一切聞かず、自分の判断で「よろしい」とする姿には幻滅を感じてしまったのでした。しかしながら、一旦上司からの聴収を受けるや否や、態度は一変なのです。私と私の団体を相手にしないような態度となりました。自分の立場の固執にはいりました。今回校長の疑念は、全国組織での地域の公的施設の利用はいかがなものかという否定的見解です。もう一つは、営利を中心としているのではないかという武道団体の理解もしない見解でした。
 今回の事で、ありがたい事に、比較対照する団体がありました。他の空手団体という事です。全国組織は共通していました。入会金・月謝の納入がはっきりしていました。それも公表されていました。この団体は、数億という規模で収支決算がされていました。もちろん、公的な補助も受けています。ここで、窮地に追いやられた形で、校長は全ての団体に対して、調査し直すという事の表明をされたのです。
 全国規模の組織には貸せないという論理と、収益を上げているという事への偏見は一遍に論理性を失う事になったのです。両方に対して施設開放するのか、それとも両方の団体に対して施設閉鎖するのかという判断になるのです。すべての利用者に対して調査するという事はすでに一種の詭弁になるのです。何故ならば、迷惑なのは他の団体だからです。
 というのは、今まで十数年、使用を重ねた既存の空手団体は、果たして営利団体として判断を下すのでしょうか。誰の目から見ても、青少年の健全育成に貢献してきた団体であり、内閣も公認しているのです。それを覆す論理を、校長は持ち合わせているのでしょうか。自分の首をかけた戦いのバトルを始める勇気があるのでしょうか。ましてこの件に関して意義と価値を見出すことが出来るのでしょうか。そうすると、この団体に対して施設開放をしないという決定はできないのです。
 さて、その内容と同じように、青少年教育に対して四十年の歴史を持つ、私たちの団体だけを排除できるのでしょうか。このことに対しても、公平性からするならば、考え方は違えども空手道を追求している同じ団体なのです。こうして、教育委員会まで疑問を持っていくならば、解決するものではないと思っていますが、地域の青少年の健全育成のために、今までと同じように歩んでいきたいと思っているのです。平等に地域の団体を扱ってもらえれば感謝なのです。もちろん、これからも青少年教育に対して、自ら望み、準備し、行動していこうとしています。
 生涯、青少年教育に生命を掛けていこうと思う心も変わらないのです。このような事に遭遇したのも、偶然ではないと思っております。それは校長の立場の人の心が望んだ結果だからだと思うのです。それでも私の思考や行動を通じて青少年教育の結果を出していきたいと思っております。