2011年9月28日(八段語録1453)

積極的人生観(26)
 人生には試練は多い

昨日の続きです。突然○○中学校の使用を断られました。理由は、極真会館という全国組織であり、地域に密着した活動とは似合わないということでした。更に、月謝も納入されているということでの規約に反するという理由でした。ところで、○○中学校の武道館は、○○○○○協会という全国組織で、地域に密着したとは似合わないと目される、宮城県本部の高砂支部が、月謝を取って使用しています。その事は規約通りという事なのです。突然の校長の決定に理不尽さを感じてしまうのです。武道団体に対する理解と勉強をすべきであると思えたのです。
私は、10年前、宮城野区を中心に武道教育を始めました。地域に貢献することを前提に推し進めました。というのも、保護司活動をする中で、罪に陥った人を救済することも重要であるのですが、それ以前の青少年健全教育が更に大切であると感じたからです。
ところで、今年は千年に一度あるかないかという大震災がありました。子供たちの教育の場の道場の確保が出来ない時に、○○中学校にお世話になったのです。その点は感謝しております。しかし、今回の校長先生の判断は、理解できないのです。武道は礼儀を教えますが、真剣勝負です。子供たちの怪我には誰かが責任を持たなければならないと思うのです。それで、しっかりとした団体から指示が全国規模であるべきであると思うのです。柔道は講道館です。剣道も剣道連盟があります。空手も武道ですので、全国組織をとっているのです。
今回の件に関して、校長の考え方からすると、全国規模の武道団体は中学校では排除するということなのでしょう。特に地域に貢献していても、校長の気に入らない武道団体の排除を進めるというように感じてしまいました。どれも納得のいく事ではないのです。私の事務局からの悪い話があるという事は実にこの話でした。今まで10年間積み上げてきた信用が全て否定される思いなのです。それが、憤りとして自分の心を渦巻いているのです。
 今回教育委員会にお伺いするうえで、○○○○○協会と極真会館のホームページの資料を持参しました。参考にしてもらうためでした。しかしながら、どこか片隅で仙台市の教育委員会まで来なくても、理不尽も消化して、潮に逆らって泳ぐことをやめて、時の流れと共に生きるのもいいのかもしれないという気持ちにもなります。そうすれば、気持ちよく生きることが出来るのかもしれないのです。 というのも、今までのように、○○市民センターを利用させていただいて、活動することも可能なわけです。争わないという事であれば、それでも良いのです。妥協は目の前にあるのです。軋轢を避けて、未来を見つめ、次へ進めていくのもいいのかもしれないのですが、その要領のよさは私にはできないようです。試練に出会わない人は誰もいないという確信を持ちながら、この一件に関しても取り組んでいきたいと思ったのです。このような屈辱は、我慢することはできないのです。
 校長の人格の問題も頭をもたげてきました。というのも北山部長に直接電話が来た内容は、十月六日まで、施設利用をやめてほしいという事でした。この内容には、子供たちの練習場所の確保や、子供たちの教育をうんぬんするという気持ちは全く感じられないのです。規約を建前にして、直ぐに出ていって欲しいという事の一点張りなのです。説明すれども、聞き耳持たずという事なのです。私から、出ていく事を前提に話すしかない状態でした。検討して、熟慮するというとは全くない話し合いです。いつ出ていくのだという強権姿勢での対話が続きました。
 私から考慮していただきたい話をさせていただきました。何故ならば、聞く耳を持たないという前提での話からなのです。市民センターの使用は、二ケ月前からなのです。今から申し込んでも12月に抽選で選ばれるという事なのです。その話をしました。事情からの話なので、最終的に11月まで使用しても良いという許可を与えて頂きました。その背後に受けた校長の姿勢から受けた感情は、追い出すことに成功し、校長としての満足感を勝ち取ったという自信が満ち溢れていたということでした。