2011年9月27日(八段語録1452)

積極的人生観(25)
 ある校長の強権的態度

 自分の行動を吟味してみることもたまには必要であると感じています。心が燃えているときの行動を客観的に検討してみると、理性の領域では受け入れかねる、行動をとるときもあるのです。しかしそれは結果において、いつも良い方向に向いていることが多いのです。自分の可能性をかけての挑戦という事になるのです。最近、昔一緒に極真会館で歩んだメンバーがおります。そのメンバーの住所と電話番号を追っかけて、何人かのメンバーとコンタクトが出来ました。というのも、この極真空手という武道教育は、日本の武士道を伝えるという事では、現代社会に一石を投じるという意義あることであると感じていたのでした。
そのような意識を持ちながら、保護司会で東北少年院に施設見学に行きました。更生して社会復帰する少年院の方針は、職業訓練をしながら技術を磨き、就職することに力点を置いているという印象でした。疑問点は、心のケアをどのようにプログラムしていっているかという事が気になりました。当然、更生プログラムがあるのだと思いましたが、突っ込んで話を聞くことではないと思ったのでした。
 それにしても、このような施設がいらないような、社会を築かなければならないという感想を持って少年院を後にしたのでした。そして、自分のミッションがいかに大切であるかという事を自覚したのでした。さて、午前中に○○中学校の教頭から北山部長に連絡があったのでした。この時に話は、10月6日までに施設から出てくれという事でした。○○中学校における武道館の使用中止の措置の決定なのです。その決定は、期間から見ても愛情も配慮も感じられるものではなかったのです。そこで、その足で東北少年院から直接○○中学校へ向かいました。理由は子供たちの事も考えていない言動だからなのです。どんな教育者なのかという疑問が湧きあがりました。
 電話で教頭との会話をして、使用させない理由が、地域の人達への貢献ではなく、全国組織であるから、例え地域の人が大勢いたとしても、地域活動には、該当しないという事を強調していました。さらに、ホームページを閲覧して、極真会館が全国組織であるという事を突き止めて、使用差し止めという事を宣言したとの事です。その口調は、どんな事を私が話そうが、決定しているので、覆すことはないという決意で校長・教頭は臨んでいるのです。最初に排斥ありきなのです。
 私も教員にあこがれて、教育実習に参加したことがあります。大学院修了ですので中学社会の専修免許証を頂いているのです。要は幹部の資格なのでしょう。教育現場に入ろうとしました。しかし、今回の対応を見ると、校長の召使に教頭がなっていて、共闘するだけで自分の意見も持たないのです。そのような組織に自分の人生を委ねなくてよかったと、今更ながら感じてしまうのです。それだけ理不尽な事にも、忠誠を尽くさなければ出世できない組織になっているという状況なのかと残念な思いがしたのでした。
 この時感じたのは、教育者としての傲慢な姿勢でした。決して決定して「排除したことに対しては覆さないぞ」という並々ならぬ決意を固めての対話なのです。さらに、「どんな意見も聞き入れないぞ」という姿勢なのです。一貫して、あなたのやってこられた事に敬意を払うが受け入れないという姿勢なのでした。それは、否定した団体からの進言だからという理由の一点でした。
 突然電話が教頭から来て、十日もしないうちに出て行けという事は、普通に長屋の大家でも言わないことであると思う事のように思えたのです。不快な気持ちが、その後続いてしまったのでした。