2011年9月25日(八段語録1450)
積極的人生観(23) 一週間の整理と副会長の仕事
昨日の10時に仙台着でした。一週間分の外遊の疲れが溜まったという状況で、妻と一緒に熟睡状態でした。朝は三時五十分に起床して、四時半に実践倫理の会館に博先生を送ったのです。朝起き会という行事なのです。私はというならば、その会に出るのではなく、ひたすらその時間帯はチラシの配布です。この会館は、青葉区の警察署の近くに大きな会館がお目見えしているのです。疑似宗教団体ということなのでしょう。私は宗教の良し悪しに関わらず、その団体に入信していく事は、抵抗があるのです。レベルが高ければいいのですが、何回か通うと飽きてしまいます。要するに深い深遠な内容を感じないのです。先人の教えの方がレベルとしては高く感じてしまうのです。また実践力においても、釈迦、孔子、孟子、キリストにはかなわない人間性を感じてしまうのです。
その後移動して、天満宮での朝礼ということなのです。ここは榴岡の神社で菅原道真公を祭っているのです。地域の中心的な地位にあるのです。総代という立場で、博先生は見守っているわけです。日曜日の朝は、行事に参加されるようになってきています。私はというならば、チラシ配布の継続です。会館や社とは関係なく、一人で地域を回る中で、天からの啓示らしいものを感じることができるのです。あるいは、地域に根ざすことになるので、住民の声らしきものも聞こえるのです。
このような自分の行動になるのは、極真会館に誇りを持っているからなのです。どんな宗教よりも世界を一つにする力があるのです。その教えるところは、万民が通らなければならない道という事なのです。そうすると、極真会館以外の、其れなりの集団の指導はいらないという事になるのです。人類を内包することが出来る道を示すことができるし、排他的にならない団体であり、あらゆる宗教をも包み込んでしまうのが極真会館であるという信念で満ち溢れて仕方がないのです。ある意味で、武道が日本の精神であり、文化であるという事を示したいのです。
話は変わるのですが、午後に入ると、警察から電話がありました。話の趣旨は、少年補導員としての委嘱でした。行政の役職をしていたのですが、警察からの委嘱は初めてでした。それも、子供たちの補導という重要な内容になっているのです。地域社会に貢献するという形が、少年を非行から守るという役割なのです。快く受け入れましたし、名誉なことだと感謝しているのです。思えば警察とのお付き合いは、シートベルト違反がほとんどでした。身体が大きいのを理由にして外しての運転が多かったのですが、今年は、八カ月しっかり守って運転をしていました。シートベルトで優良運転者にはなれず、ゴールド免許証をもらったことがないのです。
この機会を大切にして、五年間無事故無違反を重ねて、ゴールド免許証にも挑戦しようと思うのです。役職を頂くごとに丸くなる自分の姿があるのです。任命した団体に迷惑をかけたくないという事が自分としてのポリシーにもなるのです。それが足かせでもあるのですが、良き方向に向けての第一歩という事なのです。
さて、このグループでの新しい副会長の立場は、自分が最も適しているポジションなのです。いかんなく能力を発揮することができるのです。その立場を具体的なイメージまで高め、なおかつそれを実際の生活にしているのです。その事がこのグループの発展の為になるのではないかという結論を出すのです。もちろん失敗することは大いにあると思っています。しかし、その失敗もグループの発展の為に必要なものであるという確信なのです。わたしにある無限な英知が必ず良き方向に導いてくれるという確信を持っているのです。