2011年9月20日(八段語録1445)

積極的人生観(18)
 大阪松竹座へ

 お袋と念願の歌舞伎を見に行くことになりました。動機は歌舞伎役者の海老蔵が出演するのを見に行くという事でした。冥途の土産に見ておきたいという事なのです。演目は三つありました。四時間半余りの時間が過ぎていきます。歌舞伎を演芸場まで出かけて見に行くのは生まれて初めてです。それだけに、歌舞伎の道を究めた技を存分に生で見ることが出来ました。歌舞伎を究めるという事は人生をかけて大変な事であると改めて感じた次第でした。
 演目の悪太郎、若き日の信長、河内山は、全て場面で見せ場があり、観客を引付ける技が幾重にも散りばめられたのです。海老蔵と父の団十郎との間の芸のレベルは計り知れないものがありました。人気だけではなく、団十郎には、心技体そのものを感じ取ることが出来ました。私も、極真空手を究めるに当たっての姿勢を、もう一歩深めなければならないという自覚をさせていただきました。
 ところで、メールを開けると、杉原師範から極真会館手塚グループのHPのアップの知らせがありました。いよいよ本格的な手塚グループの組織的な啓蒙をする時代に突入したという印象を受けたのです。どのグループよりも明確な理論と実践力を持ったグループとしての一般公開が始まるのです。中心が定まらなければ、発展がおぼつかないという事を感じていたので、時に叶った戦略が始まったという印象なのです。
 いよいよ、夢の始まりです。より大きな夢への挑戦が出来るのです。そして、その夢を理想まで、高める想像力を持とうと思っているのです。もちろん、今までのフィルドワークからして、細部に渡って描き続けてきているのです。その理想が現実的なものとなるという確信を得るに至っているのです。このチャンスを待ち続けてきているのです。大仕事が待っているのです。もちろん、あらゆる諸問題は、間違いなくひとりで片付いていくのです。
 このグループで私は、例外なく大きな望みを抱いているのです。望まなければ何事も起こらないのです。私自身欲求の塊です。それが悪だとは思わないのです。そのような意味では欲求を肯定して大きく持ち、その実現への道を踏み出したという事にもなるのです。職業に貴賤はないというものの、システム販売に傾注した師範がいました。今の日本では社会的に見て好ましくない種類のものなのです。それが示すのに、今の内閣の閣僚がシステム販売からの献金をすべて返したというニースを耳にするのです。ましてや逮捕者を出した企業の活動に参画するのであれば、どこに出しても恥ずかしくないという事にはならないのです。
 私は、このグループの活動が、社会的な意義があるミッションであると誇りに思っているのです。この役割を通じて、私の豊かさも満足もきっと強く感じることが出来るのであると確信もしているのです。そのような意味では、このグループで最大限に能力を発揮することを考えているのです。もう既に自己暗示をしているのです。この活動が天職であると・・・・。