2011年9月14日(八段語録1439)

積極的人生観(12)
 選挙への提言

 選挙を振り返って考えることは、当選は言葉だけの事ではないのです。具体的に当選するにふさわしい生活が伴わなければならないのです。当選するという事は、自分でも絶対当選という確信の持てる内容でなければならないのです。ただ単に周りの評価だけでは十分ではないし、足をすくわれる可能性が大きいのです。今回の市会議員選挙で感じたことでした。
 まして、選挙を抽象的に捉えることは間違いなのです。というのも、誰の目から見ても当選と映らなければ、真の選挙戦という事にはならないのです。今回の県議会選挙を手伝う上で、候補者の感覚で満足できれば、その候補者は勝利するのではないかという幻想が漂っているのです。他人の目にどのように映ろうとも関係のないような戦いは、危険極まりないという事に映るのです。確かに周りの意見にこだわることはありませんが、ここでいう周りの目というのは、協力者の真剣な姿勢なのです。それを崩してはいけないと思うのです。
 ともあれ、今日は、社会福祉協議会の会議があり、保護司会の理事会があり、長町教室の指導があり、本部の指導があり、さらに、マットを引いて原町五輪道場を整備してきたのです。そして、最後にトレーニングをして、一日を整理したのでした。一つの決定が人生を左右する年代に入ってきているという事を実感するのです。打つ手一つを間違えるとするならば取り返しがつかないのです。そのような重要な責任の上に立っているという事を、会議に出席しながら感じることが出来るのです。
 このような活動がどのように役立つのかという事も考えるのです。 私という能力を他人の為に上手に活用しようとするのです。歴史上の偉大な人物は、例外なく、多くの人に卓越した能力を認めてもらっていたのです。どんなに些細な事でもいいのです。誰かの為に自分を捨て切れた人が、現実的指導者であると確信もするのです。
 そして、市会議員で当選した博先生をうらやましく思うかというならば、同調して喜んでいるという自分を見るのです。自分が博先生の当選を心より喜んでいる事実は、私の心情の世界に影響を与えてくれるのです。もし自分がうらやんでみたりしたならば、心が貧しいという事を証明してしまいます。私が、この選挙戦を戦い抜いたという事は、私の経験という形で作り出されて、素晴らしい思い出として残されていくのです。
 今日も疲れた身体を鞭打ちながら、何かを求めていくという自分の姿なのです。自分の人生で失敗は、当然何かを成し遂げていく過程で起こることであり、それは最終結論ではないのです。今回県会議員に立候補する佐々木君に関しても、失敗を恐れてはいけないとメッセージを送りたいのです。更なる飛躍を願って、筆をおきます。