2011年9月13日(八段語録1438)

積極的人生観(11)
 県会議員スタッフ会議

 夕方六時にスタッフ会議を持ちました。家族と同級生を中心に、元の議員から袂を分けた人達と、博陣営のスタッフでした。票は天から降ってくるわけではないので、どのような戦いをすべきであるかという事が問われます。私の場合、先回市会議員選挙を戦ってきているので、今回の初めてのスタッフ会議の位置づけをするならば、「選挙ごっこ」という事になるのではないかと思っているのです。それだけ、本気度はまだ感じられないというのが現状なのです。それでも、何とか体制を整えて戦いたいというのが私の気持ちなのです。
 今回の佐々木陣営は、空手道で表現するならば、寸止め空手と、実践空手の違いを感じてしまったのです。それでも、手伝いをすることには変わりはないのです。そして、道場の運営にも着手すべきであろうと思っているのです。候補者の真剣度が全体の空気を変えていくのであると、今さらながら感じさせられてしまいました。今回の選挙は、本番前の予行演習という所だと感じてしまうのでした。それではいけないと警告を発していこうと思うのです。
 もちろん、人は誰でも成功の途上にあることは間違いないのです。それを止めることは誰もできないのも事実なのです。望みを持ち、自分自身の我ならぬ偉大な力を信じる以外にないと思うのです。そうすれば、人生は必ず開けると思うのです。しかし、時間がかかる方法であると私は感じてしまうのです。県会議員選挙は、四年後にしたらよいのではないかと感じてしまうのは私だけでしょうか。みんなも感じているのです。それを阻止しなければならないのも私なのです
 もちろん出馬するという事は大変な勇気なのです。家族が同意してくれなければ、選挙戦を戦うという事は難しいのです。佐々木君は今回、家族の承認を受けたので一つクリアしたことになるのです。その事で、自分の望む事柄や状況を手にしていくという意味では成功を願っての門出であろうと思うのです。
 しかしながら、私は、八月に市議会議員選挙を戦っているわけです。そのレベルからするならば、「だめであろう」「どうせかなわない」というような、行動を起こす前からちょっと諦めがちなのです。いわば否定的観念が先行しているのです。もちろん原因はあります。基軸に私の方針は反映されていないのです。別の概念があって、私がそれを受け入れているという事なのです。このようにしたらいいのではないかという事は、ことごとく受け入れられていかないのです。
例えば、辻立ちの件でも、最後まで貫くようにという指示をするのですが、肉体的理由で受け入れてはくれないのです。自分の方針を先立てて、意見を意見としてしか聞いていないのです。もちろんそれで構わないわけですが、極真空手道からするならば、脱線行為なわけです。押忍の精神ではないのです。それでも、佐々木君は成功途上にあるのです。例え今回どのような結果であろうとも、成長し続けていくはずなのです。