2011年9月9日(八段語録1434)

積極的人生観(7)
精神的糧が「黙想」

 この時期、博先生の選挙も大勝利と、羽川さんの現在進行形である選挙、そして佐々木君の11月に控えている選挙という事で、県と市と町に対する影響力の行使ができると思っているのです。盤石な基盤は行政との連携で生まれると思っているからです。民間だけの力では、弱いのです。力強い後ろ盾があってこそ、青少年教育のパワーは発揮することが出来るのが、世の習わしという事なのだと思うのです。
 そういう意味では、着実に発展の要素を広げているという事です。もちろんここで安心することはできないし、頼りっぱなしというわけにはいかないのです。発想は、社会貢献なのです。どれだけ、社会に貢献していく事が出来るかという事が、更なる課題として私たちが背負っていくという事なのです。
 ところで、そのために広がるビジョンに対して、私の気持ちが大きく問題となるのです。つまり、心の広がりをどのように発展させるかであり。培ってきた構想理想をどのように広げるかということなのです。私の潜在意識の中に、宝物のように埋蔵している構想をどのように具現化するかということなのです。そこで、私の方法としては、空手着を身に付けて、黙想していく事が、解決の第一歩であると確信しているのです。
 黙想をすることによって、神仏に向かい合う事が出来ます。神仏は応えようするのです。それは、大自然に向かう事であり、宇宙の法則に問いかけているのです。当然、黙想することによって自分自身に問いかけていることにもなります。つまり、黙想するに信じるに足る存在、あるいは偉大な存在を目前にするという事なのです。生活の中で、私の実感としては黙想しすぎるという事はないのです。
 その方法は、自我や自尊心は捨てることになります。当然、理性とか感覚以上の世界になるのです。それは、心の底から黙想するという事なのです。そうでなければ、ただの神仏に対する請求書という事にしかならないのです。私の場合、黙想を常に大切にしています。何故ならば、自分の思いを頭に描き、それの実現に熱烈に激闘するからなのです。それは、自分自身に対する刻印になるのです。
 もちろん、宗教家ではなく、武道家なので、日常的な行事にはしていないのです。世間一般でも話の内容に「ご多幸を祈る」とか「家内安全」などと祈る習慣があるのです。この習慣を自分の日常の生活に持ち込み黙想するのです。この習慣は極めて有効なのです。
 もう一つ、自分自身に言い聞かせていることがあるのです。常に疑問や恐怖が湧いてくるのが常です。その疑問と恐怖を捨て去るという努力なのです。戦場に向かう兵士のようなのです。そうしないと黙想が台無しになってしまうのです。そして、切実に希望し必ず実現させるという意思なのです。願望が強いのが私なのです。それは、実現可能に近づくと信じているのです。それは、極真だからなのです。真に追求するわけです。欲望を抱き、その実現を切実にするというのが私の生き方なのです。