2011年9月8日(八段語録1433)

積極的人生観(6)
市民の声

 利府町議会選挙も、三日目を迎えています。選挙戦は、ちょうど折り返しの時なのです。極真会館事務局の羽川さんは、今回の選挙に関しては、余裕さえ感じるのです。というのも、先回新人で初挑戦したのでした。その為に無我夢中の選挙戦であったと記憶しているのです。そのような意味では、四年間の在任期間の間に、相当町民との深い絆を築いたはずなのです。この選挙戦は、現職にとっては、今までの支持が9割で、あと一割をこの期間に獲得するという事であろうと思うのです。
 そのような意味では、選挙戦だけで獲得する票は、僅かばかりであると断言してしまうのです。このような意味で、今回の選挙で勝つとういことは、今までの議員生活で、住民の為にどれだけ汗を流したかという事なのです。この選挙戦の期間の活動は、ほんの部分にすぎないという私の判断なのです。良くも悪くも住民の声なのです。ある意味で、住民の声にこの選挙は支配されているのです。しかし、多くの候補者は、現職であればあるほど、住民の声を軽視して、この選挙戦に頼ろうとしているのです。それは、どちらかといえば、いい結果を生み出すことはできないのです。
 ところで、議員生活は、市民に直接奉仕した期間なわけです。それは、神仏に奉仕するほどの絶対的法則に匹敵するほどの重要な意義を持つわけなのです。住民感情は、奉仕してくれた人に、再び議員として奉仕して欲しいと願うのです。住民の声は、宗教に匹敵する絶大な影響力を持っているのです。なぜかというならば、住民が候補者の全てを見ているのです。住民の解釈が当選か落選かを決定してしまうのです。もちろん、詐欺師的な候補者が出現しないとは限らないのですが、この原則は正しいだろうと確信しているのです。
 さて、仙台に帰ってきて、新人の佐々木君の事が気がかりになっていました。まるっきり新人ですので、地域の信頼はまるっきりゼロなのです。そして、誰の支持の上に立とうとしているのかという事がはっきりしないのです。極真会館の看板を選挙期間中も掲げるのですかという質問を受けました。当然、一度掲げた看板は、絶対に下ろすことはないのです。それをいとも簡単に、自分の看板を上げるので、隠して欲しいなどという事は、言語道断であると、私は怒っているのです。極真会館で、40年間の修業の集大成があるのです。それを無視するとなると、問題が生ずるという事になります。
 それで私は、余りにも人が良いので、解決に乗り出すのです。普通ですと、ここで終了なのです。しかしながら、私の気持ちを佐々木君に伝えるのです。伝えて、極真会館の支持基盤の上に立つという事に誇りを持ってほしいと訴えたのです。話せばわかるのです。納得してくれました。そして、さらに、不安を払拭するために、スケジュールと準備を進めていくべきであるという、スタッフの判断を受け入れて、行動に移っていったのでした。
 ともあれ、今日も一日終了です。時間は23時になっています。静かなひと時です。一日を振り返って、日常の生活でルールに引っかかることが自分にあったのかという事を振り返ります。誰も納得のしないやり方をしたのではないかという反省に立つのです。誰も納得しない事を自分で行っていたとするならば、ルール違反です。自然のルール、宇宙の偉大なルールに反する思考や行動は、一時的に解決可能であったとしてもやがて破綻していくのです。そんなことを考えながら、休もうと床に入ります。やはり24時が過ぎてしまいました。