2011年9月5日(八段語録1430)

積極的人生観(3)
肯定的思考

 私の生活では、黙想するという事が多いのです。例を挙げるならば、トレーニングジムで身体を動かしながら黙想、プールで泳ぎながら黙想、部屋で熊のように歩き回りながら黙想なのです。何もかも即行動よりは黙想なのです。何故黙想をしているのかというならば、自分の湧き上がる気持ちを心に焼き付けているのです。黙想をしていると、あらゆることが頭の中を去来するのです。その去来する思いを、写真に写しだすように焼き付けるのです。その焼き付ける黙想という作業は、肯定的思考であれ、否定的思考であれ、関係なく焼き付けていくのです。
 その作業は、自分の心の中に刻印しているようです。そこで、否定的で悲劇的発想を写真のように焼き付けて生きるかというならば、そうではないのです。その発想はすべて切り捨ててしまうのです。というのも、黙想には切り捨てる作業も含まれているのです。そうする中で肯定的に焼き付けている内容を具現化するために、再びより深く黙想するのです。
 今日のチラシ配布は、太白区の長町です。毎日の修業ですので、淡々とこなすのです。しかし、真心をチラシに投入するのです。最近は娘の順香と一緒に回っています。年頃になって、娘ながら美しく見えます。一緒に時間を取って活動できるのも、そんなに期間としてあるわけはないと思うのです。巣立っていく娘であるので、残り少ない日々を大切にしたいというのが父親の気持ちかもしれません。
 そのような意味では、今娘と歩み続けているという表現になるのです。父親としての微妙な表現です。いくら娘と一緒にいたいと思っても、自分の思い描いた通りにはいかないものです。いずれは、お嫁に行ってしまうのです。父親として娘と一緒にいたいと断言してしまえば娘を束縛してしまう事になります。しかし、今一緒に歩み続けているというならば、断定ではなく、歩み続けているがいずれはお嫁に行くかもしれないという、まもなく今の状態から脱却してお嫁に行くかもしれないということになるのです。ちょっと苦しい釈明になっています。だから今は娘と一緒にいることが出来る途上であるという事なのです。ある意味で自己に語りかける現在進行形という事になります。
 結論として、都合のいいように解釈する努力をしているという事かもしれません。この解釈は、選挙期間中にも博先生に指摘されましたが、変わらないのです。自分の愛情に好ましいイメージをインプットするのです。いつも生活をするなかで、愛情が自分を支配するようにしているのです。その愛情に、不安・心配・恐怖心は禁物です。出来るだけ良い事を創造し続けることになるのです。ある意味では、いつも前向きの姿勢を崩さないでいくというのが私の鉄則という事になります。そして、それを習慣化しているのです。つまり繰り返しているという事になります。自分の理想や希望を、絶えず言葉に出して繰り返すのは、考えが変わらないようにしているからであると思うのです。 
  いつも自分が良き発想として信号が頭脳から送られてくるときは、意外とくつろいでいるときとか、安らかな気分でいる時なのです。そのようなときに意外と頭の中に浮かんでくるのです。そのような意味でも、平安な気持ちを大切にします。確かに忙しすぎる要素は私の生活にはあるのですが、自分の心を静かに見つめるという習慣を持っているのです。午前中、午後と意外とくつろいで、いろいろな問題に取りかかるのです。その時は結構平安なのです。ストレスを感じることではないのです。