2011年9月4日(八段語録1429)

積極的人生観(2)
人生の転換点 当たり前のことをそれらしく思う

 早朝四時半、博先生を青葉区にある実践倫理の集会所に送り、私はチラシ配布に勤しむのです。それから、選挙事務所に直行して、これからの構想を練るのです。博先生も、心通じたことなのでしょう。再び一緒になったのです。事務所で、それぞれに将来の構想を練っているのです。互いの未来が、頼もしく思えるのです。そのような事から、家へ帰って東京での会議へ出発でしたが、理事長から電話があり、来週一緒に事を進めたいという事で、新幹線に飛び乗る一歩手前で、帰路についたのです。
 帰宅してから、それなりの決意の時間になりました。この地域に責任を持とうという決意がふつふつと湧いてくるのです。そして事務所の人々に、私のこれからの抱負を話す機会を持ったのです。今までの経緯を話し、これからの姿勢をどのようにつらぬかを、打ち合わせをしたのです。そのような事に、転換をもたらすターニングポイントという日になったのです。
 ところで、これからの自分の歩みが、全体に対して効力をもたらす良薬になるべきであると思うのです。自分の決意が周りに害毒を振り撒くようでは話にならないのです。自分の今までの経験や愛情力を活用して、みんなが願う方向に、思い描く人生を過ごしたいと思うのです。それは、もう自分をコントロールできる能力が高まっていなければ話にならないことです。何故ならば、人生の経験や愛情力は、世界を動かすだけの能力に発展する可能性を秘めているのです。
 そうするためにも、明確な決定を下したのです。今日から自分は変わるであろうという宣言なのです。もちろん決定を下すという事は、自分の意志であり、しっかり目的意識を持っての事なのです。決定したからには、私自身からの発信があるのです。それが拡大していくわけなのです。自分が害毒にならないことを注意する理由はここにあるのです。絶対に他人に迷惑をかけたくないのです。
 私自身の心の中に、愛情が備わっているのか、今誠実であるのか、善意で物事を取り入れ推し進めているのかのチェックをするのです。今日の決意は、余りにも現実的な願望なのです。拠点としての道場を選挙事務所に開くわけですので、道場生を増やそうとする思いなのです。そして、円滑に運営しようとする願いなのです。
 なんだ、そんなことを決意するために一日を過ごすのかと問われると思います。おそらく、世界を考えている人が幼稚過ぎる意識ではないかと思われがちなのですが、私は自分に正直になろうとするのです。当たり前のように布石を置くのです。
 私は、東北学院大学で八年間、聖書と礼拝に触れました。それだからと言って洗礼を受けたわけではないのです。聖書はほとんど擬人法を使っているようです。その方が分かりやすいからだという事なのでしょう。しかし、現代文明に浸っている私には難解なものとして映ったのです。ただ、精神的な勉強にはなりました。聖書は、私の心を打つような衝撃は無かったのですが、深い意味のある予告があるのではないかと考えさせられたことは間違いないのです。そのような意味では大切にしているのです。自分の人生に聖書の予告をプラスにしようとする発想なのです。何故ならば、心の平安が得られるような気がするのです。つまり研ぎ澄まされた感性が、聖書を媒介にして声のように聞こえてきそうなのです。