2014年12月27日(八段語録2278)
和歌山から仙台へ

 愛車プリウスで仙台へ出発です。朝9時に東横インをチェックアウトです。和歌山は、仙台と違って、とても温暖な気候です。日差しも冬のような気がしません。恵まれた環境なのです。かつて私も一年以上、ここで生活したのでした。その時に生まれたのが、文誉という事です。もうすでに二十数年の歳月が流れているのですから、不思議です。その娘ももうすでに二十三歳という事です。色々と人生切り開いてきましたが、家族への愛情を思いだすことによって、充実しているように感じるのです。夫婦として出発した動機と過程、そして目的が、愛情を中心として、人生を全うしようと心に決めた日が懐かしいのです。

 さて、和歌山で生活していたことが思いだされて仕方がないのですが、自分自身をしっかりさせてきたのも、家族がいたからという事です。自分の心と体の成長を、続けようとしたという事になります。和歌山で、大阪と和歌山で三人の子供を授かったことになります。夫婦の無限の愛の根本、原因、過程から理想の結実に至らせたという事なのです。これは。私の宝という事です。思い出は、家族を中心としてしか残っていないようにも思うのです。自分自身の鍛錬は、家族のためにあるという信念が確信に至ったのも、この和歌山という事です。空手は、スポーツクラブフレックスで、続けてたのでした。

 ところで、和歌山を出発するときに、過去が脳裏をよぎるのですが、愛情を注いだことにしか、深い思い出は残っていないようです。もちろん、かつての同僚に会うならば、それなりに思いだされることがあるのでしょうが、仕事としてのミッションも、一緒に喜怒哀楽を共にした人との関係が鮮明に覚えているという事は、愛情が人生の思い出の本拠地になるのだという実感です。人生は、何かを確信を持って歩んできたという感覚よりも、自分が和歌山で生きてきたことを、愛情という定規に照らし合わせて、今、思いだしているという気がするのです。

 かなり、思い出の事を綴ってしまいましたが、快晴の和歌山を大阪・京都・滋賀・福井・石川、富山・新潟と快調に愛車プリウスで走行して、一挙に仙台と思ったのですが、もうすでに、午後七時を回ったので、新潟の東横インで一泊という事にしました。この街を歩いてみたのですが、何故か昔のままでした。懐かしさを感じつつ、駅前の焼き肉店に入って、煙まみれになって、夕食を済ませました。駅前が、全く変わっていないのです。仙台の駅前と比べたら、タイムスリップしてしまいそうです。それだけに、仙台は駅前開発に成功したという事でしょう。そんなことを考えながら、床につきました。