2014年12月25日(八段語録2276)
和歌山加太での釣り

 前日に下見をしていたので、朝早くに漁港に到着。船頭を待ってから、三十年ぶりの加太の釣りを楽しむという事になりました。ここでの釣りは、疑似餌で、セロハンの赤い色とちょっと薄赤の色とを交互に5本バリに着けて釣るという事でした。昔は荒神丸でしたが、今回は春光丸の乗合に乗船することにしました。さすがに海の男は気が荒いし、船の上になると命令口調で喋り捲るので、ちょっとしんどく感じました。昔とは気持ちが違っている自分に驚くのです。

 昔は、加太での釣りは、船頭の荒い言葉でも受け止めて、その指示に従ったものでしたが、今回は、反発ばかりする自分でした。「加太での釣りはこうするんじゃ」という言葉に、自分のやり方があると言わんばかりに、従わないのです。船頭も最初は怒っていましたが、頑固な私に、諦めて、何も言わなくなっていました。結果、釣果はハマチとサバの四本だけという事で、願っていたタイは全く釣れないという事でした。それでも、気分は上々でした。今までの人生、自分が納得して歩んできたのですから、そのような気持ちを全うしたいという事なのです。誰かに指示されて、大きな成果が生まれようとも、「私には関係のない事である」と言わんばかりです。

 ところで、その土地の伝統に従うというような気質は、自分にはないようです。あくまでも自分が若い青年時代は、言われたとおりにしたかもしれないのですが、今では自分の感覚を信じるのみということなのでしょう。それは傲慢なのかどうか分かりませんが、自分のやりたいように釣りをするという事を実践するのみという事です。釣果は少なくても、自分は納得しているのです。それでも、自分のやり方ですから、朝早くから正午まで、一生懸命に釣り糸を下ろし続けました。それなりに気分は良かったという事でした。

 ともあれ、三十年前の自分の姿が、波間に見え隠れしたのです。自分を鍛えてくれた和歌山であり、その海でした。もちろん、今も闘っている人生の最中ですが、精神力というか、集中力というか、この時に味わった事になります。そのことが思いだされてならなかったのでした。自分を育ててくれた和歌山の海に感謝という事です。懐かしい和歌山の海が、今の自分の姿勢の一部を育ててくれたかと思うと、海に乾杯という事です。この海で養った、集中力を原点に更なる頂を目指して、いざ進軍というところでしょう。