2014年12月21日(八段語録2272)
関西へ

 朝六時半、我が家を、愛車プリウスで出発して、中山家に到着したのが八時ですから、十三時間半をかけての移動という事になりました。寒波の影響で荒れ模様という予報が出ていましたが、ドライブ日和で、晴天に恵まれて、気持ちよく車の運転という事になりました。今回は、五人での乗合でした。池浦夫婦が、岡山の故郷にいち早く変えるという事だったのです。途中、新大阪駅まで、道中を共にするという事になったのです。私としても、一人で運転するという事では、心もとないと思っていました。ある意味でちょっと人材活用という事です。そして、二人で900キロを運転という事でしたが、疲労感は殆ど感じる事ができなかったのです。池浦さんと私の二人で、二時間余り、交代しながらの運転で、移動することができました。

 さて、高速道路の道中は、私が青春時代過ごした場所、放浪した若き青春時代の思い出がこみ上げてくる道を通っているという事です。高速道路がタイムトンネルのように感じるのです。途中、静岡の日本平から眺めた富士山は、壮大に感じたのです。私も富士山のように堂々と人生を歩んだのだろうかと、過去にも思いを馳せましたが、それ以上に、これから富士山のように威風堂々と過ごしたいものだと感じるものです。ちょっと人生をふり返って、福島半年、栃木一年半、東京三年、静岡三か月、名古屋一か月、京都一か月、大阪三年、和歌山一年というという具合の放浪の旅という事です。通過していく中で、思い出の連鎖が始まります。核融合のようなものです。だからと言って、過去を懐かしむという事は無いのです。それ以上に、次へのビジョンを求めていこうとする意欲の方が高まるようです。

 ところで、中山家に到着しての歓迎は大変なものでした。豪華料亭の食事でした。中山婦人とお手伝いの婦人との共同でのおもてなしには、心を打たれるものがありました。かつて、アラン師範邸に会長と共にお邪魔した時に、三千坪の敷地と豪邸で、歓迎をうけましたが、その時以来の感動を受けたことになりました。同じ人生を歩んだ同士として、戦い抜いてきた人生にエールを送る気持ちにさせられたのです。何で大阪に行ったのかというと、娘、順香の交際相手の訪問という事です。順香も、中山家に相応しいと思われるとしたならば、お受けしたいという思いで来訪したというのが彼女の気持ちのようでした。それでも、男女の仲ですから、どうするかは時間をかけて結論を出せばいいと思っているのです。

 歓迎を受けて、静かに床へはいりましたが、娘の順香という作品に、何とも言えない天の傑作のように思えてならないのでした。素晴らしい、娘を与えられて共に、親子として人生を送っていく事に感謝の念でいっぱいになるのです。娘が誰に嫁ごうと、それは誰も分かりませんが、今回の出会いは大切にしていくべきであると思っているのです。そのような気持ちでいる父親という事でしょう。