2014年12月18日(八段語録2271)
悔いのない人生を送るために

 人は誰でも、自分なりの生きがいを持って生活しています。生活といえば一日一日の暮らしです。生涯という事になると、一生の生、一生を通じて生きることを意味します。さらに、ブッタやキリスト、多くの哲人はあの世まで考えているようです。そういう意味では、生活と生涯とあの世をどのように連結するかが、重要になってくるのです。一生は生活の連結ですし、あの世は、生涯どのように生活したかが問われると、よく言われます。ともあれ、生涯は、毎日の連続です。

さて、生涯の価値の内容をどのように決めるかとい事を考えるのです。それは、一日一日の暮らしが決めるようになっているのです。ですから、正しく生きなければならないという事は当然の結論です。正しく生きるという事は、生涯の全てを代表する毎日を大切に送るという生活という事になります。今日正しく生きたという事は、自分の一生で誇ることができる記憶すべき一日を送るという事になるのです。「正しく生きる」という事は、生涯路程で間違いなく最高の価値をもって生きる日々という事です。価値を持って生きた日があるとすれば、生涯でそれは忘れることができない日という事です。

ところで、このような日々が、私には宝のようにあるのです。絶えず自分の生命を投入して、忘れることができない記憶が私にはありすぎます。試合においては、命がけの戦いの中で、自分が死ぬかもしれないと感じながらも、さらに発奮して投入し続けた瞬間という事でもあります。毎日の稽古を六時間くらい続けて、三百六十五日継続して、全日本の試合において、わずか三分に集中するのです。その一瞬の為に一年をかけるのですから、その試合は勝っても負けても宝という事になります。また。愛情の分野では、今の千順さんと出会ったのが、二十四歳で、家庭を持ったのが三十四歳という事ですから、十年の間愛情を注いで、結婚初夜を迎えた時は、忘れることができない瞬間であり、私の宝という事になります。

結論として、自分の生命を投入しながら、投入した存在の為に生きる境地入っていくようになれば、天地が共鳴するという事でしょう。釈迦が「天上天下唯我独尊」と言ったのは、この境地に入ったことを意味するのであろうと、勝手に解釈するのです。膨大な無限の瞬間の圏内に入ることが、自分の理想であり、悔いのない人生を送るための原点になるのであろうと考えてしまうのです。準備と瞬間でしょう。