2014年12月16日(八段語録2269)
理想へ行く道

 私はなんだろうとふと考えるのですが、先祖の顔を代わりにかぶってきたのだろうと推測するのです。そのような意識を持って、先祖を代表して何かやらなければならないのであろうという事を考えてしまうのです。ざっと人類歴史が何十万年になっているわけですから、そのような長い歴史で、結局、私一人を造るために、あったという事ですから、すごい事であろうと思うのです。自己中心発想ですが。数多くの先祖は、言うまでもなく生まれて死んでいったのです。ですから、そうして私が存在しているという事ですから、不思議な事と言えば、これまた不思議な事なのだという事です。

 さて、そう考えると、人類歴史という、熟した実から私が出てきたのです。熟して、木から落ちていいかというと、そういう訳にはいかないのです。さらに、カラスに食べられても良くないとも思うのです。もちろん、風が吹いて、揺れて落ちてしまうのもあるでしょう。私の場合、誰かが斧で打って枝を思う存分揺らそうが、枝が裂けようが、絶対に落ちないという自信を持っているようです。そうすることによって、残って、何よりも希望を持って成熟し続けようとする気持ちが強いのです。すべては、生活の中で、気分の良い人をめざし、自信を持って生き残ることができる道を選択しようとするのです。

 ところで、私は、自信を持って人生を行こうと思っているのです。自信なく人生を行こうとするならば、悲惨な人生が残っているのみです。いずれにせよ人生は思う存分エンジョイしていかなければならないと思っているのです。先ほどの熟した実の話ですが、よく熟した実は倉庫に蓄えられ、熟することができなかった実は、腐って臭いがするゴミ箱に行かざるを得ません。ですから、しっかりと完成させる人生でなければならないと、心に思っているのです。

 とにかく、人生は、いろいろあります。世の中の最も見たくないものを、見なければならなかったり、嗅ぎたくない臭いを嗅がなければならなかったり、聞きたくない話を聞かなければならず、言いたくない事を言わなければならなかったりもします。そういう意味では、人生を、最大限エンジョイできる、実体を残すべきであると思っているのです。

今の年齢が六十歳を過ぎていますから、より完成された個人を目指そうという気持ちです。その方が自由であり、豊かであるという事は、言うまでもないのです。そんな人生、楽しいではないでしょうか。何でも身に着けていく人生を目指して、自分という存在を根拠に最大限、飛び出して、終焉を迎えるのがいいのであろうと思っているのです。まだまだ人生は、続くのです。努力次第で、可能性を伸ばすことができます。そういう意味では、今日もさっそく、出かけようとするのです。