2014年12月15日(八段語録2268)
考えていること

 極真会館は今まで、多くの選手や指導員を排出してきましたが、極真会館のメンバーとして、人の心を動かすことができているかというならば、武道精神で健全な心を育てるような役割を果たしているとは、言い難いような気がします。大山総裁や、私がお世話になった高木師範は、北海道大会や全日本大会、さらに少年マガジン、映画、様々なマスメデアで、極真会館を世界に押し上げて有名にしてくれました。それは、私にとってありがたいと思っているのです。しかし、それは世間的な事であって、これから私達が意識しなければならない事は、精神的な事ではないかと思っているのです。このような事は言ってはいけないのかもしれませんが、今までは、極真会館のやって来たことは、外的な事であると思えるのです。そして、これからは、内面性を追求することが急務になっているのではないかと勝手に思っているのです。

 それは、私が求めていこうとする武士道や、精神的な物を、今までの諸先輩たちは、保護して育てるような結果になっていると、傲慢にも思っているのです。そのような精神的な内容の使命を果たさなければならないのが、私達であると思っているのです。結構、この極真空手で、私自身を成長させてくれたと思っているのです。それでも、手塚グループの中では、通じることでも、他の極真の団体には通じないのです。会長の理念は、特に卑下されがちです。何故ならば、家庭・対話・自然という事をテーマにする極真が在ってはいいかと言われんばかりです。

 ところで、このような理念は、否定されたり、馬鹿にされたりしがちだという事を、私としても十分心得ているのです。それだけに、今まで二千回余りのブログを書きながら、正当性を理念として強調してきたことになるのです。今の状況であると、抹殺されかねないという危機感もあります。それゆえに、会長の理念を完結しようとすると、結構、困難な峠を越えていかなければならないと思うのです。現実的に最強でなければならないという事はもとより、当たり前に立派な人であると言われる人物を造らなければならないと思うのです。

ましてや、しっかりとした師範たちによる組織編成は必要になると思っているのです。

 結論として、証明書をほかの極真団体が書くようなレベルまで高める使命があると思っているのです。それだけに、今の自分に満足することは無いのです。今でもトレーニングを欠かすことなく、真剣を磨くように、日々自己との対話を続けています。方向性としては、極真空手を通じて、人格者をめざし、良き家庭を築くために、コミュニケーションを大切にし、自然と調和できる人となるという事です。何でもないようなことですが、突き詰めると、結構、重い役割であると思うのです。ただ強ければいいという事は、もう手塚グループでは、物足りなくなっているのです。そのような組織を形成する努力をしているのです。勝手な自分の思いでした。