2014年12月13日(八段語録2266)
合宿審査

 挨拶をさせていただきました。その中で、強調したのは、自分を磨くことが空手道の本質であり、技を身に着けることや、強くなることは、二の次であるという話をしたのでした。子供達に大人の口調で話したのですが、理解してもらったかどうかは、疑問が残りました。今日は、広島の妻の母が合宿会場に来ていました。聖義、そして(孫)の指導の姿を二時間ほど見学していました。

 私と妻の母を含めた家庭として、大切に合宿を見守ったという事になりました。そこで感じたのは、夫婦がいつでも一体であり、常に愛情の梯子に乗っているという事なのです。結局、出発点も夫婦であり、終着点も夫婦なのだという事です。それだけに、愛の器官を誤って使わないように努力してきたことは、間違っていないということなのだと思うのです。それゆえに、愛の器官を付けて生まれた私としては、それを誤用するならば、誤った世界に直行するという事を肝に銘じているのです。夫婦として歩んでいくならば、それは許される道は無いのだという事を意識してしまうのです。

 ところで、このような観念を、しっかり築いている家庭があるかというならば、あれほど結婚式で、永遠を誓うのにもかかわらず、淫行や浮気そして不倫が後を絶たないのです。まあ、夫婦ですから、愛情の目で絶えず見ることが迫られます。そして醜く見えても、美しく反映させ、より良く発想するような訓練は必要になってくるのです。私が初めて妻を愛するようになった時に、すべての感情が入ってきて、酔いしれるような感覚を覚えたものです。そのような意味では、想像もできないほどの、仕掛けが施された夫婦生活が訪れたように思うのです。

 つまり、見えない二つの力が訪れてきて、すべてが一つになって光の世界に同化されという、驚くべきことが起こりました。愛情が夫婦共になければ、そうした夫婦生活にはならないのだと思うのです。そのような事を意識しながら、今日も過ぎていくという事です。寒波到来と言うので、雪が街路字を白く塗っていました。寒いと消極的になりがちですが、それでも、多くの課題を抱えた人の話を聞き、多くの人の救済の一助となればと思いながら、あらゆる電話を取りながら、カウンセリングしている私がありました。この信念で、更なる発展をしていきたいと思いながら書き記しているのです。