2014年12月12日(八段語録2265)
人生の位置

 自分の歩いた人生は、自らの記録が百パーセント、コンピュータに記録されています。そして、時たま記憶されたことが現れるのです。自分の心は、展示されているコンピュータのディスクのようなものです。おそらく、すべてが入っているのです。ボタンを押せば、生まれた時から、お乳を飲み、育っていく姿が一生の間、何をしていたのか、全て映像によって知ることができるようになっているのでしょう。私の鑑定が自動的にされるという事です。その日がいつ来るのかというならば、夢の世界はもちろんの事、決定的な時は「死」を向けた時であると思っています。

 ですから、万能のコンピュータを持っている私の心の前に立てば、私自身嘘をつくことはできないし、映像が直接目の前に現れるとするならば、恥ずかしい事はできないという事になります。それだけに、心を欺くことができないのです。自分の一生がハードディスクに記憶されているのです。その記憶を見るから、良心が痛哭する程度に比例して、天国と地獄の境界線に出たり入ったりすると思う方がいいのではないかと思うのです。そう考えると、二重の発想はできないのです。生きていくうえで、愛情が一番であるという信念は、必ずや人をして良い位置に立たせるのだと思うのです。

 ところで、今生きているという事は、不安定な事が多く、変動が多いのです。一日も千態万象変化があります。揉まれることが余りにも多いのです。その都度、自分の心は変化します。そして殻を脱ぐことになるのです。三つ子の魂百までという言葉がありますが、持って生まれた性格は変わりません。人は突然変わることはできないのです。それだから、武士道のような道があり、空手を習うのは、ここで健全に生きて、その姿どおりに収録して、良い人生を築いていくという事なのです。私はそのような意識が自分の人生の位置を決定していくものであると思っているのです。

 結論として、極真空手を継続しながら、良い人生の位置を高めていこうとするのです。そうすることによって、人生を全うできたら幸せであると思えるのです。今日も畑で、大根を土に埋め、冬中食べられるようにしてきました。人参を植えた場所の雑草を取って、冬に備え、白菜を整理してきました。すべては心の成長のための農作業のように考えています。とても自然が眩しく感じたのでした。