2014年12月10日(八段語録2263)
日頃の心構え

 いつも自分を考えていては、視野が狭くなります。私の事ではなく、家族の事、地域の事を考えていくと、気持ちが健全になります。つまり、自分というものを絶えず打破していく事ができるような行動をしていかなければならないと思っているのです。自分を打破するところのみ、自由な気持ちになれるのです。そうすることで、私自身が解放されるような気がするのです。

 しかし、自分を擁護する立場で、相手を自分に適用させようとすると、自分自身を主体の立場において相手を引っ張ろうとする訳ですから、健全な精神態度を持てるようにはならないのです。そのような意味では、相手を中心に物事を考える習慣を身に着けようと努力すべきです。なかなか難しいと思うのですが、常習化された環境を越えていくとは必要になってきます。それも、凝り固まっていては、どうすることもできないのです。自分という環境を克服してこそ、安心感と安らぎがやってきます。自分を大事にするという概念にたぶらかされるトリックに気を付けなければなりません。それゆえに、誰にでも歓迎されるような人格を形成するならば、自分を調節して多くの人の為になるという事になります。

 ところで、還暦を越えると、「死」という概念が近くなります。もともと私は楽観的な観点で生きようとしてきたし、今も変わらないので、北極の氷の中で暮らしたのち、暑い所に行けば、四六時中暑く、常に緑があり、木の刃も何もかも違うように、死ねばそのように感じるらしいにしか思えないのです。常に、今の自分と関係が連結されていると思っているのです。そういう意味で、あの世と連結されているものはなんであるかと考えるのですが、お金が、地位・名誉ではない事は確かなような気がします。そうすれば、愛情というか、そのような精神的なものに違いないと思うのです。

 結局、自分という事を越えて、多くの人と関係を持てる直結する関係は、愛情であり、共通の価値での生活圏での経験であると思うのです。自分を磨くことがとても大切ですが、それにとらわれることなく、自分が月のように反射体となって、世の中と関係を結ぶのです。そうすることによって、鏡と同じで、その分、光を当てて、照らすことができるようになると思うのです。そのような事を考えながら、日頃の生活をしているのが私という事になります。

 今日も張り切って、頑張ろうと思っています。朝は、畑で白菜の収穫をしてきました。七十個ぐらい収穫して、温室に入れておきました。少しは、車に積んで、泥だらけの愛車になりましたが、白菜を積んだ車も誇らしそうです。