2014年12月10日(八段語録2262)
私の生活態度

 道場で稽古をしている時も、寝る時も、起きている時も、常に生活において愛情を伴わなければならないというのが私の信念です。生きている時は、多くの人を愛情で包むような生活をするように心がけているのです。そのようにすることによって、心身が円満で、安定し、満足する圏内に立つようになるのです。還暦を越えると、内面的を重視して拡大しようとする生活をします。これが、私の存在そのものに表面化するのです。そんなことを意識するだけで、愛情を中心とした本来の力が発揮されるように思うのです。

 というのも、生活の中で、すべてのものを創造するように願うようになるのです。仕事をするにしても、何か足らないものがあって、手に入れなければならない時も、代用品がすぐに見つかるのです。何かを食べたいと思うと、それがテーブルに上がってくるのです。そんな経験を何度もしてきました。何か欲しいと思うと、いつの間にか実現しているのです。愛情あふれる生活をすると、時空を超越して、願いが叶うように思えるのは、不思議なものです。何かが足らないので困ったという事が少なくなってきています。当然、あまり強欲に走らないという事もあるのだと思います。

 ところで、今日も畑で、白菜の収穫をしながら、自然の中で戯れていました。陽の光、風のささやき、雲の流れ、どれもこれも私を引き込むようです。畑では、何かをしたい!と思うと、実際に、いつの日か実現しているという経験をしているのです。考えるとその通り成し遂げることのできる生活ができ始めてきているのです。もちろん、大きな事を望むのではないのですが、切実な心を持って望む願いは、いつ、どのような時でも、何であろうと可能になるようです。とにかく、時間の経過は当然ありますが、実現するのです。そのような意味では、最高の愛情を持って、何事にも取り組めば、叶うようになると思うのです。

 今日も、心の中で創造の循環運動をしています。心の循環運動をしなくなるという事は、自分の心の死を意味します。手始めに、食事を、心の世界で食べると思い通り食することができます。服の心配をすることもなく、衣食住の全てを超越しているようにも思えます。もちろん、心の中には、自動車工場があり、食品工場があり、服の工場がありと、様々です。そして、思いの世界で愛情を伴うような生活という事になるのです。そのような、初老の年を送っているのです。妻との会話も、若い時よりも、遥かに分かち合えているのです。そのような生活態度が私自身はできているようです。