2014年12月9日(八段語録2261)
負債を負わない生活

 私の心掛けていることは、世話にならないようにと言う事です。もちろん積極的に世話をしようとする気持ちは誰よりもあります。しかし、決して負債を背負わないようにしようとするのです。もちろん金銭面は当然であり、気持ちでもそのようにしたいと思うのです。やはり、自分自身から愛情が顕現できるように、心して歩みたいと思うのです。誰かに世話になるような生き方はちょっとできないのです。自分がいて、爆発するような愛情が、その場に現れるのであれば、そのような生き方が自分として推進する生き方という事になります。

 さて、負債のない生活に、歓喜が溢れます。それはどれ程良い事かというのです。その位置に立ってみれば、細胞が奮い立つのです。全ての骨と肉が一つ所に集まって固まってしまうようです。そうして、すべての五官が完全に一体化してしまいます。そのような意味では、実績や心情面が重要になってきます。負債ある生活をしていると、たまらなく重苦しい気持ちになってしまいます。結局、良心が解放されないのです。そこで、心身を鍛錬するわけです。この肉体は、磨かなければならないものとして、さらに鍛えなければならないものとしてあります。何故かというならば、邪悪に対して監視役になっているのです。大体、肉欲から悪に引っ張られるケースが多くあります。

 ところで、この肉体が、なぜ監視役かという事を深く掘り下げてみると、肉欲から、結構道を外すのです。体が心を引っ張り回しやすいのです。自分を中心として生活しやすいのです。ですから、邪悪への出発点は、他でもない自分という事になるのです。体の願うとおりに行けば、地獄へ落ちていくという事です。もちろん、度が過ぎてという事が前提になります。

 結論として、自分がいることが、みんなの為になるという信念と実際にそのようにするという事が必要になってきます。そのためにも、負債を負わないという事です。盗みを働いたものは、やはり清算して更生しなければなりません。自殺など、とんでもないことです。そうすれば、自分を殺すこともできなければ、どうするかという事です。罪を犯せば、抜け出すことが、本当に難しいのです。そのような事を明記して、体を監視しながら、悪に走らないように生活するようにしたいものです。自分の行動は、全て知られているという気持ちで、心して過ごすべきであると思うのです。