2014年12月5日(八段語録2256)
膨大な心

 心は膨大な所です。この宇宙よりも、もっと大きく、もっと広い世界です。それは、形容できないほど膨大な世界です。そして、その心は、愛する人がその世界の何処へいたとしても、私が会いたいと思えば、直ちに現れるのです。どのような気持ちで会いたいと思うのか、相手側ではすぐわかるのです。来るや否や、挨拶できるのです。そして、私が思っていたことを、話してくるのです。ですから、心の世界を説明する必要は無いように思います。全てを感じる世界という事になります。そして、そこに行けば、どのような事を話すかが分かるのです。分かってから聞くようになるのです。何と素晴らしい世界が心にあるかという事です。

 さて、心の世界をもっと探求するならば、距離が無いのです。あるとしても最短距離という事です。そして、距離ばかりではなく、速度が最高速度なのです。光の速度の何千・何万倍の速さであるのです。愛する子供が外国に出ていったとしても、親が子供を思えば、すぐに子供のところに行けるのです。距離があるというより、距離を超越しているようです。そのような意味では、この膨大な大宇宙を自分の生活の舞台と定めるとしても、狭いと思えるほどです。時間と空間を超越するので、距離感が無いのです。すべては、目の前にあるのと同じという事になります。

 ところで、私の心は、愛の世界で充満したいと思うのです。そして、そこに生命がぎっしり詰まっていると思っているのです。どこへ行っても、私の生命は躍動しているのです。そして、どこへ行っても血統がつながっているという事です。当然、我が子が、悲惨な事に出会うならば、我が子の細胞のように、私も痛みを感じるのです。反対に、我が子が喜べば、自分の事のように喜びを隠せないのです。そのような意味で、我が子はもとより、家族、さらに極真会館のメンバーの中で普遍的な立つような環境圏を設定しようとするのが心なのです。

 したがって、私の心は、多くの人と和合できるような性質を持ちたいと思うのです。それも、中途半場ではなく、生命を投入し、自分の全ての誠意を投入し、自分の全てを与えたいという人でなければ、ならないと思うのです。それだけに、心の為に準備する日々を送りたいのです。そして、潤滑油になるような、準備する生活をして、心を育て、喜んで人生をエンジョイすることであると思っているのです。極真の私の弟子たちは、まじめです。そして、心を磨こうとするのです。それが空手道であると納得しているのです。