2014年11月30日(八段語録2249)
二重構造

 人は、心と体の二重構造になっています。これが一つになるかというと、なかなか難しいのです。この心身の一体化の為に、若き十代から今まで、歳月を費やしてきました。結構努力の足跡はあるのですが、なかなかうまくいきません。極真空手を一生懸命修行してきたのもこのためでした。結構厳しい修行をしてきました。また、あらゆる道理を駆使して臨んでも、なかなか難しい課題として、今まで生きてきたのです。このボディには、体の五感と、心の五感が内在しています。この二つの五感の感性が、完全に満たされて爆発したのは、いかばかりかと尋ねると、そう多くは無いのです。
 その瞬間は、本当に記念すべき一時しかなかったと、告白せざるを得ないのです。もちろん、より重要な内容を見ると、心の感動であることになるのです。肉体は百年余り過ぎると土に帰りますが、心は魂として、残ると思っているのです。これは、自分の信念の理念ですから、誰にも押し付けるわけではないし、自分だけが納得しているだけでいいのです。そんなわけで、精神的な私と、肉体的な私があります。どのようなボジションで一致化するかというならば、共鳴するような、つまり音叉の振動数と同じようになればと考えるのです。
 ところで、私が還暦を過ぎて、思うことは、結構命根性がしぶといという事と、肉体だけの生命をまずは、百年は存在させたいという気持ちと、時空の限界圏内で生きた後、より、生きがいあるあの世での生活を楽しみたいと思うのです。というのも、若者、中年、老人の差がありますが、私は魂を見つめようとするのです。魂が若くて、かっ達であれば、人格が成熟しているだと思うのですが、還暦を過ぎても、まだまだ不十分としか言いようがないのです。私の場合、外側の殻はどうでもいいのです。もちろん土台になりますから、日々鍛えますが、それだけのことです。殻を取ってしまい、残った中身を見るようにしているのです。
 それだけに、極真空手は必要なのです。日々自分を鍛えるという事です。何故かというならば、家庭が円満で、愛情に満ち溢れたものにしたいのです。つまり、植物のような関係です。肉体を鍛えるというのは、根っこから栄養素を吸収するのに似て、植物が葉から太陽の光を十分に受けて、葉緑素を得るのは、家庭を通じてお互い愛情を注ぎあうのと似ているという事です。そんな原理があるのかどうかは、わかりませんが、地からは栄養を、太陽からは光を受けて、成長するように、私も、このようにして、肉体と精神の二重構造であるからこそ、成長ができるのではないかと思うのです。