2014年11月29日(八段語録2248)
環境の克服
極真空手道をして、自分の環境を克服しなければならないのです。そればかりでなく、修練を通じて、未来に結実できる全てを受け継ぐ努力が必要になってきます。その結実する内容と動機となるパワーを自分自身が持たなければならないという事です。そうしてこそ、子孫に誇れる自分になれるという事です。私という人生の一過程を経て、新しい未来に必要な結実体として残すことができれば、幸いであると思うのです。人は、生まれて必ず環境を克服しなければならないわけですから、武道精神で磨きをかければ、あらゆるものに対して、成果が出るのではないかと思うのです。
だからと言って、それを克服するだけに終わるだけでなく、未来の新しい生命を受け継ぐようにして、自分の中で結実した内容を、次の世代に受け継いでいく事ができなければならないと思うのです。この過程を経て、正しく実際に効力を表せる一つの立場を所有しなければならないという事です。例えば、穀物は種がまかれ、芽が出て育ち、実を結び、農夫によって刈り取られて倉庫に保存されるのと同じように、必ずある目的に必要なものとなって刈り取られる過程を経なければならないという事です。
私は、この世に未練はないのですが、この地上の人生は、一つの通過期間という事を意識しています。
次に何かがあるだという前提なのです。それだから、何事も希望を持って対処できるのではないかと思うのです。というのは、不思議に人は、愛で生まれ、愛で生きたのち、愛に帰るという事を意識しているから希望を持っているという事なのです。私は何のために生まれたかと自分に自問自答するのですが、理想的な愛の為に生まれたのだと確信しているのです。その愛は、もちろん、映画やドラマでないのですが、永遠の愛を想定するのです。そのような意味では愛は貴いのです。
自分で結論出していることは、この空気の世の中で、魂が体にくっ付いてきて、胎児のように体から栄養を取って、この体が朽ち果ててしまえば、振り払って出ていこうとするのが死であると、勝手に思っているわけです。これを原理原則と主張するのは、私ばかりであると思うのですが、それでも、私は決定した理念として受け止めているのです。そんな事を考えながら、今日の日を送っています。畑での仕事は、人参場だけの草むしりと、肥料を埋めることでした。日差しがとてもまぶしく、生きているという気持ちにさせられました。楽しく今日という日を過ごしているのです。