2014年11月28日(八段語録2247)
制限されない未来
現実の世界は、様々制限があります。私は、その中で、高校時代は、校則を撤廃しようとし、制服自由化はもとより、主体性を持って、授業を受けることができるようにとデモをしたものです。青春の門はもとより、働き盛りの年代でも、自分の欲することを優先したのでした。それでも、実現した内容は、どのぐらいあったかと頭を抱えてしまうばかりです。それでも、還暦まで生きてきて、さらに百歳まではこの世界と付き合おうという意識は高いのです。今、しっかりとした五感が、自然を満喫しているのです。よく見、よく嗅ぎ、よくしゃべり、思うように生活はしているのです。しかし、それも、あと数十年で終焉を迎えることは、先人が歩んだ通りという事だと思います。
それでも、胎児が生まれる以前に、この地上を察して、すべて備えて生まれてきたように、未来の五感が、来世に生まれる前に鼻を閉め、口を閉め、耳を閉じて、じっとしていると思いたいのです。この世を脱出した先が、永遠の世界を見、永遠の音を聞き、永遠の臭いと、味を味わることができる感覚を持つとたら、それほど素晴らしい事は無いと思うのですが、実際はどうなっているのか、行ったこともないので分からないという事になります。
ところで、今も十分味わっているのですが、それでもどこへ行くこともでき、何でも聞くことができ、何でも臭いを嗅いで、なんでも食べることができれば、どんなに幸せかと思うのです。自分でもわがままをこれからも通すのかと、呆れるばかりですが、それでも強い欲望を持つのです。私はどうして生まれたのかと考えるのですが、このように空手の厳しい修行をして、何をしようとするのかと思うのですが、それは、家族として愛情の実を結ぶためのように思えてならないのです。家庭で愛情の懐で熟成するのです。そんな思いを持って、気ままに生きてきたという事です。
結果、木の全ての部分からエキスを吸収した実のように、家庭で、数限りない愛情を結実させていこうとするのです。このような欲張りな人生を還暦までエンジョイして、これからも贅沢に人生を楽しもうとするのですから、贅沢な男という事になります。それでも、親から生まれて、第二の父母である地球を、かっ歩して、全てを供給してもらった肉体と精神であると今更ながら感謝するのです。そして、人生を終えるためには、夫婦としての生き様を最大限エンジョイしたいという贅沢な思いを持っているのです。そんな気持ちがある物ですから、空手の修行は苦しいものがありますが、修行しなければならないという命令口調で自分に言い聞かせているのです。