2014年11月26日(八段語録2245)
何を重要視するか
人間の一生は、生きて見て短いと思います。私の生涯もこれから十年と幾ばくかと思うと、今までいつ過ぎたのかと、気持ちを疑うばかりです。私の場合、結婚して三十年以内にはすべてが決定しました。ですから、人生の道はいつも待っていないのです。忙しかったのです。そして、一度は死ななければならないのです。死なない自信は全くありません。必ず死ななければならないのです。死後の世界に行くのです。この世は束の間という事です。十月十日の腹中時代と何ら変わらないという事も言える、年齢に至りました。それにしても、朝露の如くというのが、正解です。人生はあまりにも短すぎるのです。
私の勝手の理想を書くのですが、別に共鳴してくれなくても構いません。それでも、そうあって欲しいというのが、私の希望です。地上で生きていくのに、空気を鼻から吸ってきました。もしあの世があるのならば、愛情の空気でできて欲しいと思います。もし、愛情を感じて生きていけなければ、窒息するというあの世です。現生は、空気で出来ている世界ですが、あの世では、愛情の空気でてきている世界であって欲しいのです。そのように、勝手に理念化しているのですから、私は、まっすぐに愛情を中心とした生き方を自分に推奨しているのです。
ところで、このような世界があの世であるとするならば、この地上で生きているとき、死後の世界に行かなければならないので、あの世に行って暮らすために、あの世の世界での、呼吸器を準備しなければならないという事です。ひょっとして、胎児が母親から生まれたように、この肉身を「おぎゃ」と言って脱がなければならないかもしれないのです。胎児が、自分の家を壊して、お腹から出てくるのと同じであるとするならば、産みの苦しみをするはずです。それが、死ということなのかもしれないと、勝手に思うように努力するのです。
結論として、純粋に、生きようとするのです。私が肉身を持っている間、純粋な心で暮らすのです。そうして、水の中で、空気と全てのものに合わせることができる呼吸器を準備するのと同じように、この肉身を現実世界の中で、あの世で生活できる呼吸器を準備しようとするのです。いずれ肉体は死を迎えます。現実的に生きてきた、制限的環境を越えて、無制限に自由奔放に生きることができるように備えたいのです。還暦を越えてくると、このような観点で人生を見つめるようになるのです。そのような意味では、総復習をして、弱点強化をして、あの世に備えるという考え方になるのです。若い人たちには関係が無いと思わないでください。すぐに年齢をあっという間に重ねていくようになります。それだから、極真をしっかり音符のように踏んでいくようにするのです。