2014年11月21日(八段語録2240)
海
海は、原料市場の中で、三分の二を占める世界の宝庫です。海の中には、金鉱やダイヤモンドの鉱山が、陸地の二倍はあります。それから、魚の資源や、海草など全てが食料になります。海草が生えている面積は、この陸地の面積の二倍ほどになるのです。そこにまた無数の魚がいるのです。陸地の資源は限界がありますが、海の資源は無限です。一匹の魚が何十万個も生みます。ですから、これを人工的にふ化させれば、100%近くふ化することができるのです。餌や飼料をしっかり調節さえすれば、無限の資源を補給することができるのです。
また、水中で養殖ができるようにするのです。このように考えれば、環境条件を無限に発展させ、拡大させ、しいては人類の食糧問題を解決する道が切り開かれるかもしれないのです。これから、近海に数十階、数百階のビルを作り、ボタン一つで養殖ができるようになる時代が来るのです。海に百坪もあれば、生活できるようになる時代も来るのではないでしょうか。
さらに、マグロの養殖もこれから考えなければならない時代に入ってくるのでしょう。マグロを大量に養殖し、海に送り返しても、早いので、例えば、二か月間だけ育てて放てば、他の魚の餌になることなく、捕まらずに大きくなるはずです。マグロはとても恰好が良い魚です。泳いでいくときには背びれを小さくたたみますが、腹鰭を、大きく広げれば他の魚が引っかかってきます。ある種の魚雷や爆弾のようになっているのです。マグロは五大洋を舞台に生きるのです。これを無尽蔵に産卵させて海に送り返せば、人類の食糧問題も解決されるのではないかと思うのです。
ところで、私が海に関心を持つのは、若き働き盛りの年齢の時に、瀬戸内海や和歌山の海に出かけては釣りをしたのです。初めは一か月に一度ぐらいでしたが、徐々に一週間に一度ぐらいになり、三十代後半には、毎日のように船を出していました。無限な可能性を感じたのでした。もちろん、釣りは人生に対してのあらゆる教訓を得る上での、最高の修行の場でした。宮古島でのマグロ釣りを思いだすのですが、普通の釣りではなかったのです。まさに海のハンティングなのです。大きな牛を捕まえるよりも難しいのです。そのマグロを捕まえるのに、ワクワクする思いでチャレンジするのです。捕まえるまでの、ファイトはたまらないのです。二時間ぐらい格闘した思い出がなります。船の上に上げた後は、血抜きをするのですが、そのマグロから、流れる血で、海が真っ赤になってしまいます。そんな光景を見てきました。
そのような経験をしながら、海が本当に好きになったのです。そして、学ぶことも多かったのです。その内容が今の私に反映されているのです。昨日多くの魚を無尽蔵に釣ったかと思えば、今日は、全く魚の姿は無いという事が良くありました。温度差の為なのです。一度変われば、魚に取って、環境がまるっきり変わるのです。それで、釣れなくなるという事にもなるのです。とにかく、海は、私には、夢と希望を与えてくれそうです。