2014年11月17日(八段語録2237)
海での思考

 私は、刺激的な事が大好きなのです。変動の多い事は気にも留めないのです。朝、散歩をするときでも、何か体を揺らしたり、あっち向いたり、こっち向いたり、おとなしく歩き続けることなど、私にはできないことです。それが、ちょうど海では、何もしなくても、あっち行ったり、こっち行ったり、変化に飛ぶのです。もちろん船での移動なのです。変化するという事は、本当に刺激的な事が起こります。しかし、余談ですが、時によっては、穏やか過ぎて、陸地で歩いているときより、何も変動しない時もあります。
 ある時は、海面がガラスの板に見えるほど穏やかな時があります。あまりにも美しくて、飛び込んでみたいような思いにもなります。ですから、海は、動であれ静であれ、限りなく変化するのです。私は、今まで人生の開拓者という意識で歩んできました。開拓して私が先頭に立つという意識でした。極真会館宮城県本部創設も、そのような開拓精神が、奮い立たせたことになるのです。あらゆる風が吹きました。波も立ちました。男の道を防ぐ何者も妨げはさせないという意識で戦い抜いたように思うのです。そこから、サバイバルのようなストーリーができ、悲喜劇が交差し、素晴らしい男として憧れの舞台として闘ってきたように思うのです。
 ところで、明日の世界に対する夢を描こうとする源泉が、海にあったようにも思うのです。私は、果敢な働き盛りの時は、よく海に行きました。特に和歌山の海は、私の庭のようになっていました。そして、道場で稽古をしているときでも、海への情熱は忘れたことが無かったのです。海に出かけたことで、心を養ったのです。海に出かけて誠意を尽くすと、昨日よりも、今日が良くなり、あらゆることが好転することを感じたことが何度もあるのです。流れる水も、天地が機能するためのものであり、海から水蒸気になって、雨を降らせ、循環して、多くの生き物を生かすという事が、なおさら、私を刺激するのです。
 結論として、海を好きになった私は、海のように偉大な存在になりたいと心に思えたのです。そして、開拓精神を持って、人生を歩んで来られたのでした。海は陸地の三倍もあります。誰かが海底にある資源を開発するようになると思います。地上には、金銀財宝や石油があると言いますが、海は陸地よりも三倍も広いのです。その三倍埋まっているはずなのです。それが開発されずにいたのですから、今からは、海へ関心を持たなければならない時代に突入するのではないかと思うのです。私のこの思考は、新しいチャレンジを意味していると思っているのです。