2014年11月14日(八段語録2234)
水に興味あり
水はすべての生命の源泉なので、そこに興味を持つのも当たり前と言えば当たり前なのです。水を毎日のように目にし、あらゆる水の流れを見ていると、自然に「私」の気持ちを動くので、私の体の中に流れている血液や体液も、正しく流れるような気がするのです。ちょっと変ですが、水が流れているとき、水と共に、私の心も流れていくように思えるのです。極真の修行時代、よく滝や海に出かけて、滝に打たれ、海で稽古をしたものでした。その修行中、汚れた心が全てきれいに洗われるのを感じたものです。ですから、今日のテーマを海という事にしたのです。
それだから、水について考えるのですが、私はよく海に行きます。もちろん、何もしないというのではなく、釣りをすることが多いのです。海に出かけると一様ではないのです。風が吹いて波が起こり、船に乗れば、ざぶざぶと揺れるので、船にいる私は踊っている状態になります。その中で、血液が循環しているのですから、勢い酔っ払いのようになっているのです。何を言いたいかというと、川がいくら多く、大きいとしても、川はいずれ大海に入っていくのです。大海に入れば、あらゆるものが全て混ざってしまいます。その大海にも、黒潮があって、四千マイルを回っているのです。この黒潮が五大洋を回っているわけです。つまり、私の体内の水と地球の水はつながっているのです。
それが、水の柱の役割をしているという事は言うまでもないのです。汚いものは何であっても、入ってくれば、混ぜ合わせ、平然として大海になっているのです。いくら大きな川が何万年も続けて、淡水を投入したとしても、すべて海は吸収し、有り余る余裕を持って、海の権威を持っているのです。海は、どんなものが入っていっても、全く変わらない光景と姿勢を持っているのです。それだから偉大であると思うのです。
また、海は、だますという事をしません。高ければ高く、低ければ低いのです。高い所にいれば供給することになるし、低ければ受けるようになるという事です。私は、このような発想を学ぼうとしています。とにかく、海は水平になろうとするのです。それは、私の考え方に多くの影響を与えてくれました。海が穏やかな時は、神秘的です。魅惑的な神秘の美女となり、すべての人を引き込む力も持っているかのようです。そこにそよ風が吹けば、その波の美しさは、ダンサーがいくら上手に踊っても、比べることはできないのです。そして、サザンオールスターズではないのですが、大きな波が来て、落ちる時、どれほど素敵かという事です。この波はもう二度と来ないという事です。さらに、金色のような水の水滴が飛び散り、その水滴は、日の光を浴び、きらきらと輝くのです。もう変化無双としか言いようがないのです。
私は、海のようにもなりたいと思うのです。海は美女のような一面もありますが、一度怒れば荒野で飛びかかってくるライオンよりも、もっと恐ろしいのです。威風堂々としているのです。そんな私、これも自己満足でしょうか。自己満足できるぐらい、私の体内の水と世界の水はかかわりがあるということなのでしょう。そんなことを考えていました。