2014年11月10日(八段語録2230)
自然の恵み

 私が眠りから覚めて目を開ければ、目の前に広がっている景色が見えます。見える景色を通して、何かわからないけれども、脳裏に良い印象を受け、その反応する感覚で、今日の生活における感度を高めていくのです。私の周囲にある全ての光景は、例えミクロのものでも、必ず私と関係が結ばれているのです。どんなに微小なものだからと言って、無視しても、その微小な物はその日その日、自然の理念に従って、存在の価値を表し、私との関係を結んでいこうとするのです。理由は簡単です。私が、自然を愛する能力を持っているからだということなのです。
 そう考えると、ミクロな存在でさえ、自然界の中で、私に吸収され、私の生存の材料になっているので、私の今日の行動の要素となって、大いなる武道理念の中での目的になっているということなのです。自然は造化無双な和合の園ということです。博物館の中の作品がどんなに貴重であるとしても、生きている自然の作品にはかなわないのです。道端に踏まれる一本のタンポポが、博物館にある千利休が愛用した茶木と比べることができるでしょうか。どんな骨董品にも比べることなどできないのです。
また、一つの生命体を見る時も、人が作った物と比べることができるかということです。自然界の生命体を手に取り、何よりも貴く感じる人がいるとするならば、その人も貴い人であるという事になるのです。
ところが、最近の中国やインドのような開発国を見ると、自然が破壊されています。郊外により水が汚染され魚が死に、公害により空気が汚染され鳥も落ちる時代に入っているのです。ですから、水を保護しなければならず、空気をきれいにしなければならないのです。何といっても、水はものすごく大切です、次に、順番はつけがたいのですが、空気、太陽の光というのです。人はその尊さに気が付いているのでしょうか。心配になってきます。自然環境の破壊で、人が今問題になっているのです。汚染が年を追うごとにだんだんとひどくなっています。これは人類の滅亡を促進しているようにも思えます。
このような事を考えながら、今日は一日出発です。北山事務局長が、1月12日から、病気の予防の為に一週間入院することになりました。万が一の為の入院ということです。年齢が高くなっても大丈夫なような人体を形成するための処置という事になります。当の本人も迷惑をかけまいとしています。20日からの勤務となる予定です。少し関心を持って、愛情を注いでください。ともあれ、今月も上旬を終わろうとしています。目標を持って、この極真会館宮城県本部を盛り立てようとしています。頑張りましょう。