2014年11月8日(八段語録2227)
気持ちの持ち方
極真会館宮城県本部の主人は私です。それでは、誰がこの極真会館宮城県本部を納めなければならないでしょうか。当然、創始者の私が納めなければなりません。そうでなければ、私から、絶大な信頼を受ける、私を代理する菅野師範が治めなければなりません。したがって、私と共にする思想を持った人間がこの極真会館宮城県本部を納めなければならないいのです。極真会館宮城県本部を永続させるためには、私を主人として一つの組織、言い換えれば、より価値のある一つの組織、より永遠の一つの組織を成し遂げようとする主義を持たなければならないいのです。それが何主義かというならば、何を隠そう、私主義なのです。そうして、その主義は、次の指導者である菅野師範に全面的にゆだねている主義でもあるのです。
さて、現場では、色々なことが起こります。ご両親からの苦情もあるでしょう。指導者としての自分の意見もあります。原則通りいかないのが現実です。それでも、道場生を指導するにあたって、公的な法度による統治しかないのです。自分の意見もあると思います。それは、菅野師範に話すことは良いでしょう。しかし、自分が道場生やご両親の意見を代弁して、振る舞うようになっては、公的な法度の主管圏外になってしまいます。指導者は公的な法度の圏内に属しているのであり、道場生もご両親も公的な法度の圏内に属しているのです。ここに何であれ、私的な内容が介在するときには、存続することができなくなってしまうのです。
ところで、菅野師範は、すべての道場と道場を公的組織の統治者として管理することができ、指導することができるのです。その内容がまさに天法なのです。指導者の皆さんも、このような原則を知っておけば、どんな言葉を話しても、どんな行動をしても、罰せられるという事は無いのです。いい加減な人を除去するための行為は罪にはならないのです。三回以上言い聞かせたのにもかかわらず、話を聞かない時には、叱責してでも、正してあげなければなりません。したがって、指導者の皆さんは、常に良し悪しをわきまえて、より大きなものの為に死力を尽くさなければならないのです。道場全体に責任を持って生きる人ほど恐ろしい人間はいないのです。
結論として、世の中にある、どんな人、どんな組織でも、「お前は、公的な法によって治められることを願うのか、私的な法によって治められることを願うのか」と尋ねるならば、より公的な法によって治められたいと願うに決まっているのです。それは、なぜでしょうか。道場生も、指導者も最高の生き方の圏内に進みたいと思うのです。それだから、しっかりと、中心を見て、最後は公的な法度に合わせるべきです。公的とは恐ろしいことです。公的な事が個人の命を奪うこともあるのです。近頃の中国の空気汚染は、人間を侵犯しているのです。それは、自然界の例ですが、この極真会館宮城県本部の公法を学ぶようにしましょう。