2014年11月5日(八段語録2224)
人に対する考え方

 人というものを、自然界のすべての結実という見方は、あまりにも自分勝手でありますが、縮小体として、あるいはモデルとしての観点もいいのではないでしょうか。鉱物・植物・動物のすべての要素を持っている高次元の存在ということです。存在物は二重目的、すなわち、個体の目的と、全体の中で調和する、より高次元の為の全体目的を持っています。したがって、どのような存在でも、二重目的を持った連体になっていて、それ自体だけで孤立、単独、固定された状態でのみ存在することは無いのです。
 さて、そうすると、全ての存在は、共通利益で連結されている共同目的体という事ができるのではないでしょうか。この共同目的の為にある力を自然力というのでしょう。調和合体の為の最も力強いものはなんであろうかと考えると、これも都合の良いように考えてしまうのですが、最も濃い、濃密な関係は愛情であると思っているのです。そのような意味でも人間は素晴らしいと思うのです。自然と人が均衡を保つ立場で暮らせたら、環境破壊など無い世界になるに違いないと思うのです。動物がどんなに悪態をついても、環境に影響を与えることはほとんどないのですが、人の場合はまるっきり違うのです。
 ところで、自然界との懸け橋を、になっているのが、人間という最高傑作品であろうと思うのです。それも、愛情を中心として生きるとするならば、全てを合理的に検討することができるのではないかと思うのです。一つの連体現象として、「私」の髪の毛と「私」は似ているのです。髪の毛を見れば、これは何でもないのです。関係が無いように見えるのですが、実際には深い関係があるのです。同じように、この全ての草木は産毛と同じように思えるのです。
ですから、花も音楽を聞かせてあげて、情緒的な環境を造っておけば、満開に花を咲かせるのです。鶏を育てる時にも、音楽を聞かせておけばよく育つのです。つぼみが咲きかけて、しおれることはありません。何でも環境と歩調を合わせて育つときには勢いが衰えることが無いのです。もし、和合できず、歩調を合わせることができないとするならば潰れていくのです。人が病気になった時に、自然の薬材をよく使います。一つも使えないものがないのです。一番ぞんざいに扱われているものが、一番良い薬になるようです。毒蛇の毒が、薬の中で最もよく効く薬だと言われています。
そんなこんなで、自然の存在物と各位を異にして、支配する立場にあるのが人間であるという事が言えるのです。そうすると、人は生まれながらにして、自然万象の中心であると思うのです。そうする意識によって、もっと大切に人生を生きることができるならば、いいのではないかと思うのです。そして、生きている人生を大切に生きるべきなのでしょう。そして、その大切に生きる生き方が、極真空手道には、宝石のように散りばめられているということなのです。