2014年10月31日(八段語録2218)
自然の秩序と法則

 私達が住んでいるこの地球は、太陽の周囲を宇宙の法則に従って、変わることなく公転しています。地球自体もそうですが、太陽自体も自転しているのです。地球の約三十万倍にもなる太陽が、休みなく動いているということです。宇宙には、このような太陽系の数億倍にもなる広大な銀河系があります。このような銀河系を小宇宙というのですが、宇宙には銀が系のような星雲が数えきれないほど多くあるのです。これをまとめて大宇宙と言うそうです。半径だけでも数億光年にもなる途方もない大宇宙が作られているということです。
 その宇宙を変わることのない法則に従って、数億万年の間、動いているのです。綿下着が考えることもできず、感じるここともできないほど偉大な力を以て、全ての天体が動いているということです。このような宇宙を考えるほど、私達は雄大さと偉大さに、自然に頭が下がらざるを得ないのです。このような大宇宙の前に、私達人類は保護されていると思うと、それだけでも、自分たちは実在する偉大な存在であると感じてもいいのではないかと思うのです。もちろン、私達の創造主は、途方もなく偉大な存在であるという事は間違いないということなのでしょう。
 ところで、本当に宇宙を見れば、無秩序になっていないのです。千年、万年動いても、間違うことなく動いているのです。今日の科学の発達も、公式上の発達という事になります。数学を通じて全てのものを説いていくのも、公式を連結させて解くのと同じように、科学文明は公式上において発達しているということです。公式とは、単位の完成です。単位を連結しなければなりません。それは出発と終わりが完全に連結され、合わなければなりません。数学の問題を解くのにも、多くの公式を通じた結論は、理想と、解いて戻っていくものが合致しなければならないという事になります。
 したがって、宇宙は漠然としてできているのではないということです。秩序があります。このような内容を持って循環運動をしているということです。運動は、数多くの形を備えて行われますが、そこにも主流があります。それが大きな川を中心としてみる時に、主流と支流が同じ立場で運動しているのです。それだけに、指導者であっても、謙虚に、道場生であっても卑屈になることなく、極真の目的に向かって動くという事が、大宇宙の一つの軸を中心として動くのと、同じと思えば、人間関係でつまずくことなく、大宇宙のような、自然の秩序や法則に則って、自らの修行の開拓をしてほしいものだと思うのです。