2014年10月27日(八段語録2212)
自然に没頭

 親父の実家に帰った時には、従兄たちが、網をかけて、鳥を取っていたものでした。網に掛かった鳥を、捕まえては、鳥小屋に入れていました。鳥小屋の基本は、鳩で二十数羽夕方になると、周りに飛ばしながら、楽しんでいました。そうして、鳥と遊んだものでした。親父の実家の周りは、山続きだったので、いつも山で遊んだ思い出があるのです。雨の日は、山に登ることができないので、何日か経ってから登ると、それは喜びが、ひとしおでした。
 海は、両親といつも通っていました。特に春先に、アサリという貝を採りに行くのです。午前中から、海に潜りながら、足で砂を掻いて、貝を見つけます。昼飯を食べると、夕方まで、貝をとり続けたものです。いつの間にか、大きな袋いっぱいになるのです。それをバイクに乗せて、ついでに私も後ろに繋がれて、親父のお腹に手を回して、帰ってきたものです。お袋はというならば、マイ自転車でゆっくり帰ってくるのです。時には海水浴に行くのですが、海水浴というのは、口実で、実際は、貝を採ることに専念したものでした。
 お袋と秋に行くところは、決まっていました。稲刈りが終わった田んぼに入って、イナゴを取るのです。これもお袋は、一生懸命朝から夕陽が落ちて暗くなるまで、布袋いっぱいに取るのです。取った後は、イナゴの羽を取って、お湯で煮るのです。そして、夜の遅くまで、煮たイナゴを佃煮にしてしまうのです。このイナゴは、一年間の我が家の保存食になるし、お袋は、魚や肉に物々交換していました。それも実に楽しい思い出になっているのです。
 また、私の家の前は、梅田川と言って、二級河川があるのです。その前が、少し広くなっていて、私の両親は、河川を畑にしたのです。もちろん、台風が来れば、河川が広がるので、そこに、川の水が上がってしまったものでしたが、それにも負けずに、ニンジンや白菜、大根と言った食料を植えていたのです。私が少年のころは、トイレの人糞を、畑に両親と一緒に担いで、畑の土に蒔いたりしたのです。もちろん、野菜は大きく新鮮に、美味しく出来上がっていました。
 また、お袋は、お袋の妹の嫁いだ家が、大農家であったので、田植えから、稲刈りまで、よく手伝いに行っていました。私も田んぼの周りの水路で、オタマジャクシを取ったり、ザリガニを取ったり、フナを取ったり、自然に親しむ時間が十分あったのでした。今思えば、今の子供達とは違って、自然が身近にあったと思うのです。
 このように自然に没頭してみて、私のためにこのように造られたその庭園と調和の博物館が、どれほど素晴らしいかという事になります。それらの自然は、全て私の教科書になっていたのだと思えるのです。