2014年10月21日(八段語録2201)
自然から学べ
私は自然を見るたびに、このような精巧に作られている造形を感嘆しています。木や様々な草、葉を見ながら、限りなく神秘を感じてしまうのです。農作業をしながら、そんなことを考えながら畑にいるのです。今年一年は、ジャガイモを植えるところから始まって、ナスやキュウリ、トマトと様々な野菜に挑戦してきました。そして、最後は、白菜と大根そしてカブを植えて終わりになります。自然に対する一つのアプローチであり、その内容を知りえたからこそ、農作業をすることができるのであり、管理することができるようになるのです。
さて、私が自然の持つその本然の価値を知って、管理するようになると、野菜ができ、様々な恩恵を受けるのです。それは、自然が「私」を中心にして作られているのではないかという錯覚さえするのです。しかし、現代社会の多くの人は、第二次産業、第三次産業と、自然を相手にする仕事をすることが無くなっています。そして、日知日とは自然を見るすべを知りえなくなっているのです。私が今年経験しただけでも、本当に自然は神秘的なのです。私が、自然に触れ合えば、風の音が素晴らしく、音楽に聞こえてきます。そして、日常生活に多くの心のゆとりを与えてくれるのです。
ところで、自然に対して、私は、主人になっているように思えるのです。それは、畑を何も手をかけなければ、野菜が育つどころか、草が茫々となって荒れてしまうのです。畑の前で、私の意志で耕し、収穫することができるのです。畑は、500坪近くあるので、一年を通じて、管理していく事は、大変な事です。それでも、畑を自分が愛情を注いて、調和していこうとするならば、天地の道理の合うようになっている気がするのです。
そればかりでなく、動物を見ても種を保存するために、互いに協力しながら生きているのです。アフリカのシマウマは、ライオンが来れば自分の子たちを真ん中にして押しやり、後足でライオンを蹴飛ばしながら保護します。ライオンも食べ物を手に入れれば、自分たち同士で争いながらも、全て分けて食べるのです。そのように動物でさえ、自然から学び、自然に和合しているのと同じように、生きなければならないのが、私の人生という事になります。
私もこの年になると、文学的な素質が芽生えてくるようです。詩的な内容を詠めば、結構感動的な表現になります。もちろん自己満足ですが。それでも、自然には、万民が共感し、詩ができる背景がたくさんあるのです。私の最近に実感ですが、環境を先に誇ったのちにこそ、私を誇れるような気がするのです。里山が良く、水が良く、畑が良いので、その中にいる私は良い人になれるのだと自然に思えるのです。