2014年10月20日(八段語録2199)
自然は教材

 晴れ渡った空は雲が見当たらないのです。さわやかな日曜日です。今日も愛と理想を見出していけるような日になりそうです。今日は消防の梯子乗りの演技と社明のブースの展示と、警察補導員のコーナーと忙しく動くのです。何といっても、区民祭りですから、はりきっています。子供達を中心に、様々なイベントが繰り広げられています。このような光景は、人を中心に世界が回っていると思えるのです。このような雰囲気は心を和ませてくれます。このような祭りで人と出会うと、人の標本が展示されているようです。人の展覧会がお祭りのような気がします。
 多くの人達を眺めなら、楽しい雰囲気にさせられます。人と人はいがみ合うのではなく、楽しい気分を味わうためにあるように思えるのです。自然を愛して人を愛して、一生を終えるというのが人生であるという実感です。道場でいくら体を鍛えて稽古をしたとしても、人を愛することを知らず、自然を愛することができなかったら、人生に何の意味があるのでしょうか。さほど、意味を感じる事ができず、ただ動物として生きてきたという事になってしまいます。私は、人生に落第しないように、エンジョイしているというのが、実状なのです。
 ところで、還暦を迎えると、円熟した対応ができるようになっています。尖って突っ走ってきた青春時代と違って、まずは調和を重んじている自分に気が付きます。例えば、上司の立場で、偉そうに指示を出し人に出会っても、その人が望むならば、そのような人の気持ちを大切にしようと思うようになっているのです。偉そうになんだという事は、もう感じる事もないのです。その人の姿勢を最大限尊重することによって、その人を満足させてあげることができれば、それも人としての愛情であるようにも思えるのです。
 したがって、切れ味が良かった青春時代と違って、何でも私と同等な価値で受け入れようとする姿勢が生まれている自分があるのです。それが、円熟した人格という事になるのかもしれません。人を大切にするという事は、そのような事のも含まれるだということも自覚しているのです。まずは何でも受け入れることが大事なような年齢になってきています。そして、その姿勢が寛容さと柔和さを滲み出すようになっています。人と自然に対して、ありのままに受け入れていこうとする自分を見ているのです。それを年輪というのでしょうか。