2014年10月17日(八段語録2196)
道場生に対する教育の主要内容
まずは、指導者が伝統を残さなければならないという事は、必須です。私がこのようにブログにして残しているのは、道場生に伝統を残すためであり、十分ではない環境から、基盤を築いてきて、極真の伝統を残してきたという事を、道場生に教育することであり、遺言を残すことができるように伝統的資料を収拾する為なのです。ですから、伝統が問題であり、これは、変更することができない、未来に対しての伝統なのです。道場の伝統を立てなければ、広がりを期待できないのです。そして、道場生には、当たり前に教育の基準と道場の延長としての、家庭の規範を作らなければならないという主張はするのです。
そのためには、知的教育はもちろんの事、現代社会に欠如している押忍の教育をしなければならないのです。さらに、指導者は、道場生の一体感を図らなければならないでしょう。そして、その教育の時期は、道場生があらゆる価値の基準を推し量ることができる時まで、言い換えれば、成熟するまでは、道場生に愛情を投入しなければならないということです。道場での道理を教えるのは当然なのです。いずれ、指導者となって、その主人となる資格を持つものを養育しなければならないのです。極真の伝統を通じて、しっかりとした人格が形成された道場生を残さなければならないというのが厳粛な使命であります。運命などではないのです。これは宿命的責任だと思うのです。
ところで、道場生を教育するにも、実体的に、力強い肉体を形成することを常に考えなければならないのです。これに責任を負った立場で活動するのが、指導者という事になります。ですから、一歩指導者として踏み出すときにも、この目標を達成するために踏み出すのです。道場生を教育しようとしても、技の一つ一つを、乳飲み子に乳を飲ませるように、考えながら、指導しなければならないという事になります。このように、稽古すれば、極真の生命、願い、価値を身代わりしていけるという確信を与えていかなければならないということです。ここにおいて、道場生の価値が決定されるのです。
結論として、道場生をよく教育するためにも、昇級・昇段の道を一歩一歩踏みしめて上るように指導すべきなのです。そうすれば、稽古という修行を縫い合わせることができるのです。これが、極真会館宮城県本部の教育方法なのです。そして、それが公認されていくようになるのです。他の教育方法はありません。私も、いずれは死んでいくわけですから、このことを残して進んでいかなければならないのです。