2014年10月15日(八段語録2193)
指導者の愛情と責任

 道場生を育てる時は、自分を大切にする以上に、愛情を注がなければなりません。そのような、指導者の責任を全うするようになれば、その道場生は指導者の事情を知り、道場生が自分の子供を持つようになれば、指導者から受けたような、しっかりとした指導をするようになるのです。そのように時間をかけて、熟成して初めて、指導者が何を願っているかという事を悟り、自分のすべきことが何であるかを理解し、動くようになるのです。つまり、指導者の責任を自分の責任として、指導者の事情と自分の事情として成し遂げていこうと立ち上がるのです。
 さて、そのような師弟関係が生まれてくると、愛情の絆でもって、あらゆることを洞察するようになるのです。それは、愛情がベースの時だけ可能であるのです。指導者の愛情は距離を超越します。距離を超越して連結するのです。愛情を注ぐ道場生に対しては、例え欠点があっても、その欠点を先に探ることはしません。自分が指導して良い点が伸びるように指導するのです。道場生の悪い点を指摘して、怒ったとしても、その怒りで、道場生が生きるのかを心配するのも指導者なのです。
 ところで、指導者は、自分が指導して、良い面に少しだけでも成長していると、悪い面より大きく見ようとする基準を中心に、理解するようにするのが、指導者の心でなければならないのです。指導者は押忍の精神だけを強調して、従わせるだけではなく、道場生が自ら、指導者の期待に添うように心が湧き出るようにしなければならないのです。このような事は、一日でできるようなものではないのです。長い期間を置いて、影響を及ぼさなければならないのです。影響を及ぼすという事は、指導者が稽古をつけてあげているおりに、道場生が従ってくることができるように道場で手本を示してあげるということです。このような事をする、稽古に対する専門家でなければならないのです。
 結論として、指導者は道場の稽古において模範とならなければならないのです。あらゆる稽古を絶えず、道場生に見せてあげなければならないのです。また、稽古がどれ程、成長に重要であるかということも認識させてあげなければならないのです。そうしてこそ、指導者として、道場生を教育することができるのです。当たり前ですが、教育するには、指導者が実践して見せて、指導者が模範となって、稽古の前にしっかり心を備えさせるべきです。道場生が一言半句も口答えせず、しっかりと指導を受けられるようにすべきです。そして、道場生が自分の知っている、空手道と原則を中心としてみる時に、道場で稽古をしようとしているときに、師範が指示する原則を軽視し、その指示に従って指導していないのに、道場生だけは原則通りに稽古をしなさいと言えば、鼻で笑われるのです。