2014年10月14日(八段語録2192)
極真の心
道場生は、極真の心を迎え入れなければなりません。極真の心を迎え、自分を正しく教育しなければならないのです。指導者は、「適当にしなさい」とは言えないのです。道場生に間違ったことを教える指導者はいないのです。師が間違ったことを弟子に教えてどうしますか。師には二種類がいます。友達も二種類があります。しかし、極真を教える師範は一つだけです。ただ、正しく教えるのみです。私の場合、極真の心と一致し、指導者と一致し、自分の子供とも一致する闘いをしてきました。そして、今は、私の代わりに、苦労を背負っていく、師範が立っているのです。もちろん、何十年もすれば、子供も苦労を背負っていく事ができるようになると思うのですが、まだまだ修練が足りません。それでも、一つの完全な基盤が作られているという実感はするのです。
さて、私は、これから育っていく道場生に、いかにして極真の思想を伝統的に植えつけていかなければならないと思っています。ややもすれば、道場以外では、極真の心を持って生活するという事が難しい時代に入ってきています。ここまで、私が、人生を歩んでみると、人として生きることはもちろんの事、家庭人として、どんな時にも、対応するような気持ちになっているのです。家庭がなければ、子孫は続きません。さらに、家庭が誤れば、その家庭は崩れてしまいます。つまり、家庭教育の中に極真の心は入っていくべきであると思うのです。ですから、道場生には、日本古来の武士道で培ってきた公的な法理に基づいて暮らす家庭であれば、家は安泰であると思えてならないのです。
もちろん、個人が大切であるという事は重々承知をしているのです。ですから、一人の個人と、どれほど大切に向き合わなければならないかということです。また、そのような個人が家庭を築くようになれば、その家庭もどれほど、大切にしなければならないかという事はあまりにも当たり前すぎます。そのためには、あらゆる精誠を尽くして、極真の心を導入するならば、良き方向に向かっていく事ができるのではないかと思うのです。私としても、子供を産んで育ててみて、我が家を通じて、多くの道場生を愛情で持って育てようとする気持ちが沸き上がってきた経験を持ったものです。
したがって、極真の心を家庭に反映させて、子供達を危険度ラックの巣窟に追い込むことなく、さらに、魔の環境に置くことなく、それを難なく克服するのは、武道精神に満ちた心を築いていくという事だと思うのです。家庭を厳格にするという事は、極真の心の導入し、フリーセックス、性の解放、同性愛、様々な家庭を破壊する計略から守るという事です。道場が道場生の教育的基盤を作らずして、どうして社会的影響を与えていく事ができる内容になりえるかということです。